若き秀吉の甥の陣も巨大
徳川家康、伊達政宗、前田利家、上杉景勝、島津義弘、加藤清正…。全国から大名・武将が集まり、その陣跡は現在150カ所余りが確認されています。最も遠くからの参陣は蠣崎慶広(かきざきよしひろ)で、なんと蝦夷地(現在の北海道)からです。いったい到着まで何日かかったのでしょうか。
当時、秀吉に次ぐ軍事力があった家康は、名護屋城の東側に本陣を置きます。そこからさらに入江を挟んで東側の対岸にも、別陣を築きました。
名護屋城の南西に位置取るのは、豊臣(羽柴)秀保(ひでやす)の陣。豊臣秀保は、秀吉の甥であると同時に、大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公・豊臣秀長(秀吉の弟)の養子として家督を相続しました。
秀長は朝鮮出兵が始まる1年ほど前に既に没していたため、秀保が豊臣政権の筆頭格として着陣します。その権力にふさわしく、石垣をふんだんに利用した陣を築きました。
なんとこの時、秀保は数え年で14歳。現在の中学生と同じ年齢で、とんでもない権力を手にしていたのです。しかし、1595(文禄4)年に17歳で急死してしまいます。残念。
秀保の陣は、見学しやすくなっている主要部だけではありません。その北に広がる森の中にも石垣や空堀が残っています。その城域の広大さから、余りある権力を表すかのようです。

