一人だけやたら本気過ぎる若武者の陣
朝鮮出兵の戦場は、名護屋の地から海を隔てた向こう側。前線とはいっても陸続きではないため、各武将の陣は、「あまり防御を意識していないのでは?」と思われるものも少なくありません。むしろ簡素な構えのみで、城や陣というより館に近いと感じられるものも多い印象です。
ただ、その中で異彩を放つ陣がひとつ。堀秀治の陣です。他の陣が拠点としての機能が目立っていたのに対し、秀治の陣は、やたらと実戦的な構造が目立ちます。
陣内は6つの曲輪で構成されており、土塁や空堀、北西の曲輪の石垣など、「なんなら海を越えて、いつでも攻めてこい!」と言わんばかりの堅牢さ。御殿や能舞台、庭園などもあった、文武両道な面もあるのですが、やはり他の陣とは本気度が異なっています。
実は秀治が堀家を継いだのは、名護屋着陣のわずか2年前でした。父・秀政は38歳で急死し、弱冠16歳で後継となった若武者にとって、当主としての実質デビュー戦となったのが朝鮮出兵です。父の死からわずか2年、「他の武将たちに舐められたらアカン!」と、自らの存在感を示そうと気合いが入りすぎた結果、ここまで本気の陣になったのかも?
2度に及んだ朝鮮出兵は、秀吉の病死により豊臣軍が朝鮮半島から撤退を余儀なくされ、戦いは幕を閉じ、名護屋城も秀吉の死によって廃城となります。そして、オールスター達の各陣も打ち捨てられることに。
天下人の号令一下、全国から錚々たる戦国武将達が集結した地・名護屋。その象徴たる名護屋城のみならず、各武将の陣までも訪ねてこそ、その驚異のスケールを実感できるはずです。
今泉慎一(いまいずみ・しんいち)
古城探訪家。編集プロダクション・風来堂代表。著書に『戦う山城50』(イースト・プレス)『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社)など。

