雲仙普賢岳噴火から30年

長崎県南部に位置する雲仙普賢岳。2020年11月17日、平成の噴火から丸30年を迎えた。1991年のこの日、約200年ぶりに噴火した普賢岳はその後、火山活動が活発化して翌年5月からは土石流や火砕流が頻発するようになった。

そして、6月3日に大規模な火砕流が発生し、ふもとの島原市の旧上木場地区で警戒にあたっていた消防団員や警察官、そしてマスコミ関係者など43人が犠牲になった。

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現在、この場所は砂防区域として通常は一般の立ち入りは規制されているが、毎年6月3日の慰霊の日前には、地元住民や消防団などが一帯の清掃作業を行っている。

その中には、国土交通省雲仙復興事務所に勤務する丸山寛起さん(38)の姿があった。

国土交通省雲仙復興事務所・丸山寛起さん:
地元の人ために頑張るというのが、この職場に入って一番大事だなと思いましたね。島原のために頑張れてるという思いで。災害の所にも派遣されたら、一生懸命、地元の被災された方のために頑張ろうかなと

丸山さんがこの仕事を志したきっかけは、自らが体験した避難生活だった。地元の島原市下折橋町に生まれ育ったが、小学校3年生の秋に普賢岳が噴火したのだ。

国土交通省雲仙復興事務所・丸山寛起さん:
土曜日で家に帰ったらテレビで噴火の映像がずっと流れてたんで、ああ噴火なんだって

火山活動が終息したのは6年後の中学3年生の時だったが、その間は火砕流や土石流からふもとの市街地を守るために砂防施設が建設されたことで、入学した分校は廃校となった。

本校に通うようになっても別の学校の敷地に建てられたプレハブの仮校舎での授業が続いた。

国土交通省雲仙復興事務所・丸山寛起さん:
みんなヘルメットかぶって登校してたんですよ。皆で一緒に頑張ろうっていう感じはあったんで、怖くはあったけど辛いって言うだけではなかった

現在、丸山さんは地元の子供たちに災害当時の生活や自らの体験を伝える活動をしている。

国土交通省雲仙復興事務所・丸山寛起さん:
学校ごと避難しないといけないくらい火砕流とか土石流がひどくて、おじちゃんも怖い思いをしました。島原で何が起こったんだということを、しっかり勉強していただいて自分が大きくなったときにお話できるようしていただきたい

雲仙復興事務所は閉鎖…今後は?

丸山さんが勤務する国土交通省の雲仙復興事務所。最大50人余りいた職員は砂防工事などがピークを過ぎたため、今は15人にまで縮小されている。
少ない人員で広大な砂防施設を担当するため、事務所では去年ドローンを導入し、定期的に状況をチェックしている。

西島純一郎専門官:
土石流は起きないにしても、土砂の移動は必ず絶えずありますので、どこか集中的に溜まっていたら砂防施設としての機能は低下していくので、そういうとこを見ていく

砂防施設内では、すでに広大な花壇や湧水公園が整備されたところもあり、また来年は災害から30年になるのを機に、マスコミ関係者などが犠牲になった「定点」と呼ばれる場所でも被災車両を掘り起こして保存整備しようとする動きが始まるなど、「慰霊」「防災」を考える場にもなっている。

しかし、雲仙復興事務所による整備事業は今年度で全て終了となるため、それにあわせて国は事務所の閉鎖を決め、丸山さんも地元・島原を離れる日が近づいている。

国土交通省雲仙復興事務所・丸山寛起さん:
最後の年に来ることができたっていうことは、しっかり最後まで完成させなきゃいけないんだなあと。先輩方が頑張ってきて、自分の代で完成させるのが役目なのかなと思ってます。雲仙復興事務所がなくなるのはさみしいけど、いつかまた自分も故郷に帰ってくるかもしれないので、その時、さらに住みやすい街になってたらいいかなと思います

噴火から30年を経て、防災に強いまちづくりを進めてきた地元の住民たち。一方、国は事務所の撤退後も広大な砂防施設の管理は責任を負うとして、今年度は初の維持管理予算が認められたが、来年度以降、どのように被災地に関わっていくのかまだ決まっていない。

(テレビ長崎)