「この瞬間は忘れない」

ジョージアの首都・トビリシは、緑豊かで、歴史ある街並みが広がっていた。

気温は日本と同じ30度前後。乾燥した空気の中、眩しい日差しが木の葉を照らしている。

「ここで娘は生まれたんだ」

裕太さんの胸には、不思議な感動が湧き起こった。

やっと明日会える——。

裕太さんは深夜に目を覚まし、スマートフォンに保存した娘の動画を何度も見返していた。

翌朝早く、ホテルのロビーに夫婦の姿があった。約束の時間まで、まだ30分ある。緊張からか会話は少ない。

やがて階段の上にベビーシッターの女性が現れた。胸元に、白い衣装をまとった赤ちゃんを抱いている。

夫婦は立ち上がった。「小さい」「かわいい」と短く言葉が漏れる。

優美さんの胸に娘を託されると、視線が合った。

「はじめまして、ママだよ」

そう笑いかけると、娘が微笑みを浮かべた。目に涙が浮かんだ。

「やっと、本当に抱きしめることができました」と優美さん。

裕太さんも「この瞬間は、一生忘れないと思います」と噛み締めた。

代理母には感謝しかない、だけど…

家族3人の時間が、ようやく始まった。

初めてのおむつ替え、慣れないミルク作り——。

娘が元気よく泣くたび、夫婦は困った表情を見せつつも目尻を下げた。

病気を乗り越え、夢にまで見た我が子との日々。その幸せを授けてくれたジョージア人の代理母に、どんな思いを抱いているのか。

帰国のため空港に向かう車中で尋ねると、二人は口をそろえた。

「引き受けてくれたことに、感謝しかありません」

一方で、代理出産には「第三者に命の危険を負わせている」との批判が根強い。

優美さんは「複雑な心境」と前置きし、胸の内を明かした。

「『お金を払ったんだから当然』、とドライには思えない。でも、私たちはどうしても子どもが欲しかった。そのために安くないお金も払ってきた」

自分たちの“エゴ”で、他人をリスクにさらしたことは理解している。だけど、背に腹は代えられなかった。

そしてこう絞り出した。

「私たちにできるのは、代理母さんに感謝し、『これからも健康でいてほしい』と願うことだけ」

なぜジョージアで“代理出産”盛んに?

こうした代理出産は、ジョージアで約30年にわたって行われてきた。

1997年に合法化された当初は、国内の夫婦の利用が中心だったが、2010年ごろから海外から依頼者が集まるようになった。

背景には、従来盛んに行われていたインドやタイなどでの規制強化や、費用の安さがあった。

一方で、国内でも「女性の経済的困窮につけ込んでいる」「子どもの人身売買だ」といった批判は絶えず、23年には政府が外国人による代理出産を禁止する法案を提出。成立はしていないものの、制度のあり方をめぐる議論が今も続いている。

代理出産の仲介会社が語る“実情”

こうした状況を、代理出産を仲介する側はどう捉えているのか。

夫婦の代理出産を担当した現地の仲介会社「Juno Surrogacy」代表のケテヴァン・ロバキゼ医師が取材に応じた。

同社は創業から17年にわたり代理出産を手がけ、主に中国や欧米の顧客を対象に年間約50件を仲介。日本人夫婦の代理出産もこれまでに約40件手がけ、子どもの引き渡しを行ってきたという。

ロバキゼ医師はジョージアに依頼が集まる理由として、「医療水準が高く、成功率も高いため」と説明。また、代理出産の渡航先として多く選ばれてきたウクライナに、ロシアが軍事侵攻したことから、その受け皿となってきたことを挙げた。