前言を披歴するのは本意ではないが、お手すきの折にでも本コラムの4月5日掲載の記事を読み返していただければ幸いである。
タイトルは、「イランはアメリカに「勝たないで勝つ」のか 相手を疲弊させ“割に合わない戦争”にする戦略 歴史と思想も背景に」だった。
自らが生き残るためのイランの仕組み
当時はまだ、アメリカとイスラエルによる対イラン戦争が始まったばかりで、戦局の先行きを予想できる状況ではなかった。
筆者はその中で、イランの戦略は「勝つこと」そのものを目的としていないのではないかと書いた。
地下施設に分散されたミサイル、破壊されることを前提にした軍事インフラ、中東各地に配置された代理勢力。それらは相手を打ち負かすためというより、自らが生き残るための仕組みに見えた。
そして筆者はこう書いた。
「相手にコストを強い、疲弊させ、最終的に『割に合わない戦争』に変えてしまう」
それがイランの戦い方ではないか、と。
もちろん予言をしたつもりはない。
だが戦争が停戦へ向かう現在、欧米メディアを読み比べると、どうも世界は同じ問いを語り始めたように見える。
イランは勝ったのか。
あるいは、勝たなかったのに勝ったのか。
そんな奇妙な議論である。
「イランは勝ったのか」欧米メディアの分析
アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は15日の社説で、「トランプ大統領はこの戦争に敗れた」と断じた。

同紙によれば、トランプ大統領が掲げた「無条件降伏」「体制転換」「ウラン濃縮の完全停止」はいずれも実現していない。
イラン政権は存続した。
核開発問題も決着していない。
ホルムズ海峡という戦略的カードも失っていない。
だから敗者はトランプ氏だ、というのである。
一方、イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙はもう少し慎重だった。
同紙は「イラン政府は自らを勝者だと考えている」と分析した。
確かにイランは生き残った。
しかしその代償はあまりにも大きい。
最高指導者アリ・ハメネイ師は死亡した。
軍・政府の高官も多数失われた。
インフラは破壊され、経済的損害も莫大である。
軍事的現実だけを見れば、イランは敗者である。
それでもテヘランでは勝利の物語が形成されているという。
最も興味深かったのは、イギリスの戦略誌『エンゲルスバーグ・アイディアズ』だった。
その記事のタイトルは、「イランは負けなかったことで勝ったのか」である。
チェスの比喩を使いながら、同誌はこう論じる。
イランは政権を守った。
ホルムズ海峡を武器化した。
フーシ派を温存した。
ヒズボラも残した。
イラクの親イラン勢力も生きている。
つまり盤上の主要な駒を残している。
だから勝者だというのである。
どこか違うイランの発想
4月にも書いたが、イランという国は、そもそも「勝つ」ことで生き延びてきた国家ではない。
古代ペルシア以来、この国は何度も征服されてきた。
アラブに敗れた。
モンゴルにも征服された。
しかし消えなかった。
むしろ征服者の側がペルシア文化に取り込まれていった。
戦場の勝敗だけで歴史が決まるわけではないことを、この国は身をもって知っている。
だからイランの発想は、西側の戦略家とはどこか違う。
敵を完全に打ち負かすことよりも、自らが生き残ることを重視する。
短期決戦より持久戦を選ぶ。
勝利より消耗を重視する。
そして相手に「この戦争は割に合わない」と思わせることを狙う。
今回の戦争では、その戦略が成功したようにも見える。
イランは勝ったのだろうか。
それはまだ分からない。
今週スイスで行われる調印式も終着点ではない。
むしろ60日間に及ぶ新たな交渉の始まりにすぎない。
だが少なくとも現時点で言えることが1つある。
4月に筆者が書いた問いは、杞憂ではなかった可能性がある。
イランは軍事的勝利を収めたわけではないが、やはり「勝たずに勝つ」のかもしれない。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

