サッカーワールドカップの熱気が続く中、開催国のアメリカに奥能登の中学生たちが訪れている。その目的は被災地能登の現状を世界に伝えることだ。
W杯のダラスで中学生が語った被災の記憶

ワールドカップ北中米大会で初戦を戦った日本代表。白熱の試合を会場で見届けた人たちがいる。奥能登に住む中学生たちだ。

試合に招待したのは、ちょんまげ隊長ツンさんこと角田寛和さんたちのグループ。地震の後、何度も能登の被災地を訪れ、ボランティア活動やイベントの企画を行ってきた。ツンさんはおととしのパリオリンピックでも能登の子どもたち5人をサッカー日本代表戦に招待。現地で行った被災地報告会では、子どもたちがフランスの人たちに能登の今を伝えた。

パリの次はアメリカ。今回は、ワールドカップの試合に合わせて能登の子どもたちを招待し、被災地の現状を伝えてもらうのが目的だ。
「被災状況が違う子どもたちが一堂に会すので、新しい絆や学びが来る。被災地の現状をなかなか現地の人がアクセスできないことを伝えたり、世界中から募金が石川県にきているので、感謝を伝えることがテーマです」

「頭の中がぐちゃぐちゃで」―地震と豪雨が奪ったものと、5キロ痩せた小学生の日々
企画に応募した1人、能登町に住む澁田悠月さんは出発に向け準備を進めていた。

両親と弟とともに暮らす悠月さん。2024年の地震では自宅の屋根瓦が全て損壊。真冬の1か月間、車中泊とテント泊で生活した。当時小学5年生だった悠月さんは、震災のストレスで体調を崩し体重が5キロ減少。家に戻った後も、地震の恐怖から部屋ではなかなか眠れなかったという。

「地震が起きて何が起こったか分からない状況で、明日どうなるか考えると頭の中がぐちゃぐちゃで、色々考えてしまう状況でした。」

その年続けて発生した奥能登豪雨では、祖父母が住む輪島市町野町が壊滅的な被害を受けた。
「地震で助かった人たちもいるんですけど、洪水で流されて亡くなった人たちも、洪水は起きてほしくなかったな。」

アメリカの人たちの前で行う被災地報告会では、悠月さん自身が被災した経験や能登の現状、そしてアメリカからの義援金などに対する感謝を自らの言葉で伝える予定だ。
「能登はだいぶ復興してきたけど、まだ全部回復はしていないし、今から集団移転する人がいる現状を伝えたいですし、心からありがとうと伝えたいです。」

「世界とのつながり」がテーマの今回のプロジェクト。報告会では趣味のギターでアメリカ国歌を演奏するべく練習を続けている。

「(能登を忘れてほしくない?)忘れてほしくないのもありますし、能登であったことをアメリカの人たちに繋げて知ってもらいたいです。」
ブルーベリー農家の父が見せたかった「広い世界」
能登町で10年ほど前からブルーベリー畑を営む父・貞徳さん。
「地震の時は木が倒れたんです。横が川なので洪水の時は全面水に浸かってしまって、ゴミも軽トラで10台、20台出しました。」

地震と豪雨で3カ所ある畑全てが被害を受け、ブルーベリーの栽培は地震前の3割ほどにとどまっている。貞徳さんは、震災後沈みがちだった悠月さんに少しでも前を向いてほしいという思いで今回の企画に応募した。

「とりあえず閉じこもっていても仕方がないので、チャンスがあれば広い世界に行ってほしいなという思いで申し込みました。支えてくれている人がいたっていうのは認識してほしいというのは大きい。アメリカから支援してくれた人もいますし、分かってほしい。」と語る。

今月12日、珠洲市・輪島市・能登町から中学生7人が能登空港に集まった。
「心配3割、楽しさ7割です。まず被災地の状況、そしてたくさん(アメリカから)義援金をもらったことについてありがとうと伝えたいです。」
それぞれの境遇を持つ7人が奥能登からアメリカへと飛び立った。

出発を見送った貞徳さんはこう語った。
「楽しんできてもらいたい。地震で沈んだ気持ちを盛り上げて帰ってきてほしいと思います。」
母・佳代さんも思いを寄せた。
「寂しい。自信を持って明るくなってもらえたら…」

W杯の興奮を胸に、ダラスで届けた感謝と記憶
アメリカのダラスで行われた日本対オランダ戦。奥能登の中学生たちは会場で日本代表の活躍を応援した。試合は後半オランダが先制。直後に日本代表がゴールを奪い返すが、再びゴールを奪われ追いかける展開が続いた。劣勢に立たされても最後まで諦めない日本代表を、悠月さんは全力で応援した。試合は終了間際、鎌田のゴールで同点に。強敵オランダ相手に貴重な勝ち点1を獲得した。


そして現地時間の15日、プロジェクトの最大の目的でもある被災地報告会が、ダラス在住の日本人やアメリカ人を前に行われた。

「僕は家族や自衛隊の人・友達、寄付金をくれた人など色んな人に助けられました。アメリカや海外に住んでいる人や能登のことを少しでも思ってくれた人に感謝を伝えたいです。ありがとうございました。」
悠月さんは能登への支援に対して精いっぱいの感謝を伝え、最後に練習を重ねたギターを披露した。

能登半島地震からもうすぐ2年半。あの大災害を忘れてほしくない。悠月さんの思いは、ふるさとから遠く離れたアメリカにも確かに届いた。

(石川テレビ)

