水俣病の公式確認から5月、70年を迎えました。母親のおなかの中でメチル水銀の被害に遭った胎児性患者の坂本しのぶさんも7月で70歳です。「水俣病は終わっていない」と訴え続けるしのぶさん。今の暮らしと思いを見つめます。

坂本 しのぶさん、69歳。

母親の胎内でメチル水銀の影響を受けた胎児性患者です。

水俣病が公式に確認された1956年・昭和31年の7月に生まれました。

毎年5月1日にしのぶさんたちが手を合わせる『乙女塚』。

しのぶさんと同じ世代で、若くして亡くなった胎児性患者の遺品などが納められています。(胎児性患者上村智子さんの遺品など)

【胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん(69)と支援者 谷 由布さん】
(Q御霊に語りかけたのは)「〈私がみんなに(水俣病のことを)伝えていくから安心してください〉ということを伝えたい」

多くの報道陣に囲まれるしのぶさん。隣にはいつも、支援者の谷 由布さんが
寄り添っています。

谷さんは両親も長年、水俣病患者の支援をしていて、幼い頃からしのぶさんと時間をともにしてきました。

【支援者 谷 由布さん】
「しのぶさんも70歳で…昔からのことを話して聞かせてくれる人たちがどんどん私たちの周りからもいなくなっていて。しのぶさんも最近話をするときに『(水俣病のことを)知ってほしい』ということと同時に『忘れないでほしい』ということも
よく口にするようになったと思う」

水俣病は、チッソ水俣工場の排水に含まれていたメチル水銀に汚染された魚介類を食べることで中枢神経が侵される〈中毒症〉です。

生まれたときから水俣病の症状を背負うしのぶさんは〈水俣病の象徴〉として注目を集め、これまで国内外で水俣病の現状と教訓を発信してきました。

【胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん(69)】
「(70年間)いろんなことがあったなと思う。やっぱり私が一番しんどかったのは
お母さんが亡くなったとき」

自身も水俣病患者でありながらしのぶさんを守り、支え続けた母・フジエさんは7年前に他界しました。

しのぶさんは5年ほど前から自力で歩くことが難しくなり日常動作も思うようにできなくなったことから、今は日中と夜、2カ所の患者支援施設を行き来しながら生活しています。
日中『ほたるの家』/夜『ぬくもりの家潮風』

こうした施設は熊本県が行う胎児性・小児性患者向けの『地域生活支援事業』の補助を受け、社会福祉法人などが運営していますが、現場は慢性的な人手不足。

環境大臣や熊本県知事との懇談の場でも毎回、「ヘルパーさんを増やしてほしい」と
声を上げています。

認定患者の療養施設に入所することも選択肢の一つですが…しのぶさんがそれを選ばないのにはこんな理由があります。

【胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん(69)】
「(療養施設に入れば)みんなに会えなくなるだろうなって思う」

「できるだけ自宅で生活していた時と同じように自由に、いろんな人に会って暮らしたい」、そう願っています。

【支援者 谷 由布さん】
「どういう生活環境が合うかは(患者さん)一人一人違う。しのぶさんは今までずっと自宅で過ごしていろいろな人と会って過ごしてきているので(療養)施設はある程度時間の制約が生まれてしまうのでそういう部分が馴染むまでに時間がどうしても必要になるのかなぁ」

5月15日。しのぶさんの姿は上益城郡嘉島町の小学校にありました。
(嘉島町立嘉島東小学校)

子どもの頃に差別を受けて辛かった体験や海外を訪問して経験したことなど、しのぶさんは自分の声でゆっくりと言葉を紡ぎ出し、それを谷さんがフォローします。

【胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん(69)と支援者 谷 由布さん】
「水俣病はまだ終わっていないということを覚えておいてほしい。今もまだ続いている」

【児童】
「坂本しのぶさんの話を聞いて〈差別は辛いものだ〉と思った」

【児童】
「〈強い人だ〉と思った私もそんな人になりたい」

「水俣病は過去の出来事ではない」。

今も苦しむ人たちがいることをその体で、声で、伝え続けます。

【胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん(69)】
「水俣病を伝えてくれるのはいろんな人がいるけれど私も一人として伝えていきたい」

テレビ熊本
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