岩手県盛岡市中心部の東に位置する「山岸」と「浅岸」。この二つの地域を流れるのが中津川です。

長年にわたり岩手県内の地名を調べている宍戸敦さんによると、山岸の名前には「山の際」という意味があるといい、「“愛宕山”の麓が山岸。山岸・峯岸・峰岸など、地名に“岸”がつくところには、近くに川があることが多い」と説明します。

宍戸敦さん:
山岸地域は沿岸部から盛岡城下へ入る際の最初の要となる場所で、藩政時代には南部藩の警備の要衝とされ、当時は「御弓町(おゆみちょう)」という町名もあった。山岸に隣接する加賀野地域には「御持筒町(おもづつちょう)」があり、鉄砲を持つ足軽同心が配置されていた。南部藩の警備部隊となる。

現在の山岸周辺はかつて養蚕が盛んだった地域で、南部家に弓部隊として仕えた人たちが副業として行っていました。
生糸にしない繭を広げ、綿のようにした「真綿」を生産したということです。

中津川を挟んで東側にある「浅岸」について、宍戸さんは「中津川の浅瀬の際・低地のこと。山岸と関連した地名を付けたのではないか。山岸・浅岸ともにかつて村だった。その後、盛岡市に編入する」と説明します。

浅岸の歴史について、かつて浅岸自治会の会長を務めこの地域の歴史に詳しい大平市兵衛さんに聞きました。

浅岸自治会顧問 大平市兵衛さん:
(かつての)浅岸村は広範囲。東は区界の駅の近く、北は藪川村、南は簗川村。盛岡市街に近い場所では(現在の)盛岡地方気象台辺りまでが浅岸村。かつて浅岸地域は、ほとんど田んぼ。区画整理により聖地さえ、古い建物がほとんどない。

1941年(昭和16年)、浅岸村は盛岡市に編入合併。かつてこの浅岸が「村」であったことを知る人も少なくなってきました。

そこで、大平さんは会長を務めていたときに自治会として浅岸村役場があった場所に石碑を建てました。

1924年(大正13年)に建設された浅岸役場は、盛岡市編入後は公民館として使用されました。

大平さんは「昭和30年まで役場として使い、その後の業務が市の本庁の方に移り、その後は公民館として30年から区画整理までここにあったのをわかってもらうために建てた」と話します。

この役場の前の道路がメインストリートで、駐在所や消防署の14分団があり、町の中心を担ってきました。

村役場の石碑は道路の傍らで、その歴史を今に伝え続けています。

大平さんは、「浅岸の良いところは盛岡の中心市街地にも近い。中津川もあり自然が豊か」と話し、「子どもたちがいて、にぎやかな町になってほしい」と願っていました。

中津川を中心とした山側の「山岸」、そして対岸の「浅岸」。
住宅街となり時代が移り変わっても、その名はこの土地の成り立ちを伝え続けています。

岩手めんこいテレビ
岩手めんこいテレビ

岩手の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。