輪島港を拠点とする「中型巻き網船団」が26日、能登半島地震後、初めての漁に出ました。漁の再開を待ちわびること、約2年4か月。苦境を乗り越え、再び海へと向かった漁師たちの思いを取材しました。

深夜の輪島港。復旧途中で、まだ暗い荷揚げ場を照らすのは船の明かりだけ。それでも、久しぶりの水揚げに、港は活気に沸いていました。タイにヒラマサ、ブリなど久しぶりの漁は大漁でした。

高砂丸水産の萬正昭彦社長:
最高の雰囲気や昔に戻ってきてる。

輪島港で唯一、休業を余儀なくされていた中型巻き網船団。それをまとめる萬正(ばんしょう)さんの喜びも、ひとしおでした。

今月中旬、中型巻き網船団・高砂丸水産の漁師たちが、港に集まっていました倉庫に眠っていた巨大な網を、船に積み込むためです。網の長さは約560メートル、深さは100メートルに及びます。

巻き網漁は、6隻ほどの船が船団を組み、魚の群れを囲い込んで捕らえる漁法です。志賀町の福浦港から珠洲市狼煙の沖合まで広く移動し、魚を追い込んだ後は、20人ほどの乗組員が一気に網を手繰り寄せます。水揚げ量は多い時で一日10トン。震災前、3つの船団が担っていた水揚げ量は港全体の3割に達していました。

しかし、大量の魚が水揚げできる物揚場(ものあげば)が完成したのは先月末。そのため、震災から2年4か月もの間、休業を余儀なくされました。震災で乗組員の多くが被災、自宅も船も被害を受け、復旧が長引く中で2つの船団が廃業を決めました。今は高砂丸水産だけです。

高砂丸水産の萬正昭彦社長:
寂しいというかショックやった。長い間やってて、最高の塊、共同体だった。(辞めると決断した仲間を思うと?)辛い、辛い。漁をするよりも、辞める決断の方が大変やと思う。

廃業の二文字がよぎらなかったわけではありません。

新設された物揚場は以前より奥行きが狭く、もともと使っていた機械の設置にも工夫が必要です。しかも、鮮度を落とさないために大人数で一気に作業するには、スペースも氷を置く場所も限られています。

しかし、課題はあっても、乗組員の多くが別の仕事でつなぎながら再開の日を待ってくれていました。

高砂丸水産萬正昭彦社長:
みんな、やる気満々でなんとか動いてくれんかって、うちも頑張らなダメやと思って。巻き網が動いて初めて市場の活気も戻ると思うので。巻き網の火を消したくないし…。

26日夕方、港に乗組員が集まってきました。船着き場は地震で隆起し、地割れしたままですが…。

萬正社長:
いやあ、感無量やね。やるだけや!

午後6時出港。初日は輪島沖10キロで魚影を確認。震災後初めての網を投じました。そして、4時間後の午後10時に漁を終えて港へ。タイやブリ、ヒラマサなどおよそ3トンがとれました。大漁です。

高砂丸水産の萬正昭彦社長:
最高やった。前回の漁から2年ちょっとたつし、漁の勘が戻らんと思ったけど震災前の感覚です。(港の活気もどうですか?)最高の雰囲気や、昔に戻って来とる。(あしたからは?)頑張るだけです。一言、頑張るだけです。

久しぶりの水揚げに活気づく港。震災から3年目の春、また一つ「当たり前の風景」が輪島に戻ってきました。

石川テレビ
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