35年間立ち続けたのは、黒板の前。2025年春、秋田・大館市で中学校教師としての人生に区切りをつけた男性が、新たに立つ場所として選んだのは、コーヒーの香りが立ちのぼるカウンターの内側だった。「人と人が出会い、心が休まる場所をつくりたい」。そんな思いを胸に、地元に小さなカフェを開いた。
「人生は巡り合い」 教師人生の原点
大館市向町にある「カフェ ぺんたとにっく」。
マスターの岸博之さん(61)は大館市出身。高校までを地元で過ごし、青森県内の大学を卒業後、25歳で中学校の理科教師として秋田に戻ってきた。
2025年3月に60歳で退職するまでの35年間、教壇に立ち続けた。
岸さんの教師人生を支えた言葉がある。
「いいかお前たち。人生は巡り合いだ。いろんな人と出会うのが人生だよ」
中学2年生の時、学級担任からかけられた一言だ。
「学校の先生なら、たくさんの生徒と出会える」という思いが、職業として教師を選ぶきっかけになったという。
理科の授業を通して、数多くの生徒と向き合ってきた岸さん。今でも街中で教え子から気さくに声をかけられるほど、生徒との関係は温かい。
岸さんは「たくさんの生徒と出会えたことが、今振り返ると本当に大きな財産」と話す。
人が集う場所への憧れ 喫茶店との出会い
そんな岸さんが、若い頃から好きだった場所が「喫茶店」だった。学生時代には様々な店に足を運び、常連として通った喫茶店では、マスターが不在の際にカウンターに立ったこともあるという。
「今考えると、ずいぶん珍しい経験だよね」と岸さんは当時を懐かしむ。
コーヒーを入れ、客の話に耳を傾ける。喫茶店は、見ず知らずの人同士が自然に言葉を交わす“交差点”のような場所だった。
60歳を目前に控え、退職後の人生を思い描いたとき、ふとその光景がよみがえった。
「教師を辞めたあとも、人と関われる場所で何かできないか」。行き着いた答えが、喫茶店――カフェの経営だった。
「ぺんたとにっく」誕生 向町の一角に灯った明かり
退職から2カ月後の2025年5月、大館市向町にオープンしたのが「カフェ ぺんたとにっく」だ。
店内には、どこか懐かしさを覚える落ち着いた空間が広がる。
店名の「ぺんたとにっく」は、岸さんが大学時代、学園祭で運営したライブ喫茶につけた名前。音楽に親しんできた自身の原点でもある。
開店にあたり、岸さんが強く意識したのが「必ず、自分の手をかけたものを提供すること」。料理やスイーツはすべて手作りだ。
中でも人気なのが、優しい甘さのバナナパウンドケーキ。岸さん自ら生地を仕込み、丁寧に焼き上げている。
ドリップコーヒーには、市内のカフェ「KOW」のブレンドを採用。抽出方法は何度も調整を重ね、「コーヒーが苦手な人でも飲みやすい味」を目指した。
ギターと共に 音楽がつなぐもう1つの居場所
店でもう1つ、欠かせない存在がある。それが、岸さんのギターだ。
中学生の頃、新聞配達のアルバイトでためたお金で初めて楽器を購入。以来、音楽は人生のそばにあった。
現在は弾き語りを中心に演奏を楽しんでいる。
店の敷地内には、岸さん愛用のギターが並ぶ蔵を改装した部屋があり、アンティーク家具を配したライブスペースとして開放している。
これまでに音楽イベントをはじめ、写真展やマルシェなども開催。カフェという枠を超え、地域の表現や交流の場として育ちつつある。
カウンター越しに続く「出会い」
教壇を離れても、岸さんの根底にある思いは変わらない。それは、「出会い」を大切にすることだ。
「多くの人に来てもらって、いい出会いが生まれる場所にしたい。心が安らぎ、くつろげる時間を過ごしてもらえたら、それが一番」と語る岸さん。
教師として生徒に向き合ってきた35年。今はカフェのマスターとして、カウンター越しに人の話を聞く。立つ場所は変わっても、誰かの人生にそっと寄り添う姿勢は変わらない。
「カフェ ぺんたとにっく」ではきょうも、コーヒーの香りとともに、新しい巡り合いが静かに生まれている。
(秋田テレビ)
