2011年の東日本大震災で津波の映像を撮影し、その後15年近く語り部として活動してきた岩手県大船渡市の齊藤賢治さん(78)。震災の教訓を伝え続けてきた齋藤さんが、2026年5月で語り部活動を終えることを決めた。需要の減少と自身の高齢化を理由に区切りをつける今、最後の語りに込めた思いを追った。
(記事内には津波の映像写真を含みます。気分が悪くなる場合は控えてください)
津波を撮影したあの日
2011年3月11日、岩手県大船渡市。 当時、銘菓「かもめの玉子」で知られるさいとう製菓の専務だった齊藤賢治さんは、高台から町を襲う津波を撮影していた。
齊藤さん(当時63)は、流されていく家々を前に、思わず「やめてくれ、止めてくれ」と海に向かって叫んだという。
15年が経った今も、撮影した高台に立つと当時の情景が鮮明によみがえる。
「あの時、記録しなければという思いがどこからか湧き上がり、スマホを取り出して動画を撮り始めた」と語る齋藤さん。
語り部として歩んだ15年
震災から8か月後の2011年11月、齊藤さんは個人で語り部活動を開始。 2013年には会社の建物を活用し、伝承の拠点を整備した。
県外でも出前授業を行うなど、齊藤さんが体験を伝えた人は約5万人に及ぶ。
出前授業で齊藤さんは「堤防で命や財産が守ってもらえると信じていたが、堤防は壊された」と話し、「海岸方向へ向かうのは絶対ダメ。命取りになる」と、避難の重要性を繰り返し訴えてきた。
減る需要と高齢化で引退を決断
2018年からは市内の公共施設「おおふなぽーと」を拠点に活動してきたが、近年は語り部の需要が減少。
齊藤さんは「続けたい気持ちはあるが、お客さんが来なくなったこと、そして自分の高齢化が理由」と語り、2026年5月での引退を決めた。
最後の語りに込めた思い
5月18日、最後の予約が入った。
齊藤さんは「“最後の日”なのでしっかり務めたい」と語り、特別な思いでこの日を迎えた。
訪れたのは2016年に熊本地震を経験した桐山馨さん。東北の語り部を巡る旅の途中だった。
「きちんと聞いておきたい。何か参考になることはあると思う」と話す桐山さん。
齊藤さんはいつも通り、自身が撮影した津波映像を見せながら語り始める。
齊藤賢治さん(78):
(津波の犠牲者のうち)逃げなかった人が40%、避難途中が19.5%、自宅などに戻った人が5.9%、この70%は逃げていれば助かった命だったのではないか。
自身も両親から津波避難の大切さを教えられたという齊藤さんは、その経験が語り部活動の原動力となっていた。
「逃げる場所の条件は、連続的に高い所に上がれる。これを励行してほしい」と話す。
約1時間半にわたる熱のこもった語りに、桐山さんは「かなりリアル、自分事として考えていなければ避難は間に合わない」と受け止めた。
齊藤さんは「熊本からこの三陸沿岸にお越しいただいたということは、ものすごくありがたい最後のお客さんだと思う」と語った。
引退後も続く防災への思い
現在78歳の齊藤さんは、水耕栽培や木工など様々な趣味を持っていて、引退後は自分の時間を楽しむつもりだという。
しかし、防災への思いが途切れたわけではない。
自身の叫び声が記録されている津波映像は、すでに県や大学に提供済み提供していて、今後も何らかの形で活用されることを願っている。
齊藤さんは 「映像は最高の教材。時間が経つほど震災を忘れてしまう。語り部や映像は良い訴え方だと思う」と語る。
15年近く語り部として歩んできた齊藤さん。 「あの日の教訓が誰かの命を救うことにつながってほしい」… 引退後も、その思いが消えることはない。
