2007年5月、ポルトガル南部の保養地で、3歳のイギリス人少女マデリン・マッカーンちゃんが、両親が夕食に出ている約30分の間に、宿泊先の部屋から忽然と姿を消した。
のちに世界でもっとも知られた未解決事件のひとつとなる「マデリンちゃん事件」である。発生からまもなく19年。母を描く新ドラマと有力容疑者の釈放をきっかけに、この未解決事件はいま再び関心が高まっている。
わずか90m、目を離した30分
日本でも当時、この事件は大きく報じられた。
その夜、マデリンちゃんは滞在先のホリデーアパートで1つ年下の双子のきょうだいと寝かされていた。
親は約90メートル離れた近くのレストランで友人たちと夕食をとり、大人たちは交代で子どもたちの様子を見に戻っていた。報道によると、午後9時30分ごろの確認では異常はなかったが、午後10時ごろ、母ケイトさんが部屋に戻ると、マデリンちゃんの姿は消えていた。
事件は国際的な支援運動の様相を帯びていった。
著名なサッカー選手であるデービッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウドがテレビを通じて情報提供を呼びかけ、中村俊輔選手も所属先セルティックの試合で黄色いリボンを腕に巻いてプレーした。
さらに、ヴァージン・グループ会長らがあわせて約6億円の報奨金を申し出た。それでもマデリンちゃんは見つからなかった。
事件発生から約3カ月後、事態は大きく動く。
ポルトガル警察は、母ケイト・マッカーンさんを正式な容疑者として扱ったのだ。
ケイトさんは娘の失踪という深い喪失のさなかに、2日間で16時間に及ぶ事情聴取を受け、警察とメディアの双方から疑いの目を向けられる過酷な時間を強いられた。起訴はされなかったが、被害者家族であるはずの母親が、世論のただ中で容疑者として扱われた衝撃は大きかった。
この捜査過程を描いた実録犯罪ドラマ『サスペクト:ケイト・マッカーン』がイギリスのテレビ局「5」によって制作され、年内にも放送が予定されている。
ドラマが焦点を当てるのは、失踪そのものではなく、被害者であるはずの母親が48時間にわたって厳しい事情聴取を受けた時間だ。
制作側は、警察資料や記録証言、ドキュメンタリー資料に基づく作品だとしている。事件から18年経った今、イギリスでは捜査や報道が家族に何をもたらしたのかという問題も、改めて見つめ直されている。
有力容疑者を釈放 なぜ未解決に
一方で、現実の捜査は依然として決定打を欠いたままだ。
ドイツ当局が主要容疑者とみなしてきたドイツ人のクリスチャン・ブリュックナー氏は、別件の性犯罪で服役していたが、マデリンちゃん事件では起訴されないまま2025年に釈放された。
元刑事で、イギリス調査報道記者のマーク・ウィリアムズトマス氏は、発生直後から現地に入り、継続的にこの事件を追ってきた。
ブリュックナー氏について「ドイツ当局が主要容疑者とみなしてきたが、イギリス警察もポルトガル警察も同じ温度感ではなかった」と語る。そのうえで、「5年以上捜査してきたにもかかわらず、事情聴取や起訴に十分な証拠を持っていない」と指摘した。
なぜマデリンちゃん事件はここまで長く未解決のままなのか。
ウィリアムズトマス氏が最も重く見ているのは、捜査の失敗だと指摘する。幼い子どもの失踪事件では最初の1時間から数時間、いわゆる「ゴールデンアワー」が極めて重要だが、この事件では初動で十分な土台作りがなされなかったという。
当初は、見知らぬ第三者による誘拐として捜査が始まり、途中から家族へ焦点を移すなど、捜査の軸がぶれた。
その結果、初期の数時間から数日で得られたはずの証拠が失われた可能性があるという。ウィリアムズトマス氏は「順番が完全に逆だった」として、ポルトガル警察の初動を厳しく批判した。
また、異例の国際捜査になった点にも触れた。
ポルトガルの事件でありながら、ある意味ではイギリス警察が主導し、別の意味ではドイツ当局が主導した。そうしたねじれた構図が、事件をさらに複雑にしたとの見方だ。
巨額の費用と世界的な関心が注がれてきたにもかかわらず、氏は「マデリンちゃんが失踪したあの日から、今なお何一つ前進していない」と語った。
ウィリアムズトマス氏は、独自の見立ても示している。マデリンちゃんはアパートの中から連れ去られたのではなく、両親を探して自ら外に出たところを狙われた可能性が高いとみているのだ。
失踪当日の朝、母ケイトさんが子どもたちに、両親が食事していた近くのバーの場所を説明していたことなどを根拠に、前夜に双子が泣いて起きた時と同じように、マデリンちゃんも両親を探しに部屋を出たのではないか、という仮説だ。
「イギリスでは子どもが一人になってから40秒から60秒の間に誘拐された例があります。それほど一瞬で起こりうるのです。マデリンは両親を探しにアパートの外へ出て、その外で誘拐されたと考えています」
真相への希望と、失われた初動の重み
ウィリアムズトマス氏は、20年後でも30年後でも新しい情報は出てくると話す。
犯人や周辺人物の人間関係は時間とともに変わる。かつては口を閉ざしていた人が、年月を経て語り始めることもある。
さらに科学捜査の技術は進歩し、当時は分析できなかった微細な試料からも情報が得られる可能性がある。ただ同時に、現場や周辺で初期に採取された証拠があまりに少なく、防犯カメラも十分確保されていなかったことが、いまも大きな制約になっていると指摘した。
2003年5月に生まれたマデリンちゃんは、いまは22歳になった。
どれだけの月日が過ぎても、手がかりが見つからなくても、家族の姿勢は変わらない。支援への感謝を忘れず、前向きな知らせへの希望を持ち続け、あらゆる可能性を尽くすよう呼びかけている。
家族が長年抱えてきた痛みの大きさを思えば、その思いが報われる日が訪れることを願わずにはいられない。
【執筆:FNNロンドン支局長 髙島泰明】
