東日本大震災から15年。岩手県宮古市田老で103年続く菓子店を営みながら消防団の分団長として活動する田中和七さん(71)は、津波で店や自宅を失い、コロナ禍や人口減少にも直面してきた。それでも菓子作りと防災活動を続け、「命を守る備え」を地域と次世代に伝え続けている。
103年続く菓子店の3代目
宮古市田老で菓子店を営みながら、消防団員として地域を守り続ける男性がいる。うずまき模様のかりんとうを作る田中和七さん(71)だ。
田中さんは、田老で103年続く「田中菓子舗」の3代目だ。家族で営む菓子店では、大正時代から続く名物「田老かりんとう」を今も作り続けている。

「私にこれ(かりんとうの作り方)を教えてくれたおふくろに、震災前に亡くなったおふくろに、これだったら顔向けができるかなと思って作っている」と語る田中さんの言葉には、家族の歴史と重みがにじむ。
津波で全て流失、分かれた再建の道
2011年の東日本大震災当時、田中さんの自宅と店、工場は海岸から約300mの場所にあったが、巨大な津波によってそれらすべてが流された。
震災から2年後の2013年、工場は元の場所から離れた地域に再建した。元の場所はかさ上げ工事が必要となり、営業再開を待てなかったためだった。
結局、震災前は同じ敷地にあった自宅、店、工場は、それぞれ別の場所で再建することになった。
田中和七さん(当時2014年):
津波を見てしまった家族は、もっと安全なところに住みたいということで、(家は)高台を希望した。
建設費の高騰もあり計画はずれ込んだが、2016年に高台に自宅を、2017年には市街地に新たな店を構えた。
コロナ禍の打撃、続く経営の苦悩
ようやく復興が進み始めた矢先、新型コロナウイルスの影響が襲った。
田中和七さん(当時2020年):
週5日かりんとうを作る前提で(借金の)返済計画を立てたが、今では週3回やればいい方だ。
売り上げはコロナ禍前の半分以下に落ち込み、7人いた従業員も休ませざるを得なかった。
新型コロナウイルスが収束した現在も、地域の人口減少や物価高の影響で経営環境は厳しい状況が続く。
震災後、何度も壁にぶつかりながらも田中さんは、かりんとう作りをやめることはなかった。
田中さんは、「お客さんが待っている、必要とされている。そのことが復興の一番の力になった」と話す。
消防団の分団長として「命を守る」
田中さんは、宮古市消防団の分団長としての顔も持つ。
3月8日、93年前の昭和三陸地震の発生時刻に合わせた夜間避難訓練が行われた。
田中さんは、地区の中心部にある道の駅から約1.4km離れた高台の公園まで、車いすを使う人たちを誘導した。
「(訓練を)やり続けることで、いざっていう有事の際に迷わず行動をとれる」と話す田中さん。
巨大な防潮堤が築かれ、防災のまちと呼ばれていた田老地区では、東日本大震災で181人が犠牲となった。(2012年時点)
震災後、住宅は高台に移されたが、田中さんは備え続ける重要性を訴える。
忘れられない現実、仲間を失った痛み
「自分の命を守るには、自分が一番、避難の仕方を知っていなければならない。そういう意味では、ずっと何らかの形で訴え続けていきたい」と話す田中さん。
その思いの背景には、15年前のつらい体験がある。震災で、田老地区の消防団では10人が犠牲となり、今も1人の団員が見つかっていない。
2026年1月、田中さんは全国の防災関係者向けのオンライン講演会で講師を務めた。
「できることから始めようと指示を出していた。泣くこともしなかった」と当時振り返った。
現実を受け止めきれない中、3か月にわたり救助活動を続けたという。
田中さんは「私たちの仲間も10名の犠牲者が出ました。いまだに見つからない1人の消防団員もいます。私の知っている人なので、その家族のことを思うとやるせない」と、声を詰まらせながら語った。
次の世代へ語り継ぐ震災の教訓
「あの日を繰り返してはならない」その思いを、田中さんは地元の子どもたちにも伝えている。田老第一小学校での講話は13年間続いている。
「最終的には命です。復旧・復興って生きている人しかできないので」と小学6年生の児童に語り掛ける田中さん。
田中さんは、震災で浸水した区域を示した地図と、災害時に取るべき行動をまとめた資料を児童に配った。震災を知らない世代が増える中、伝え方を工夫し続けてきた。
講話を聞いた児童は、「田中さんの見た光景が頭に浮かび、胸がいっぱいになった」「命と向き合って復興していきたい」と話す。
田中さんの言葉は、確かに次の世代へ届いていた。
東日本大震災から15年。田中さんの今一番の願いは、田老のまちの活性化だ。
田中和七さん:
一人でも多くの子どもたちが、一度は離れてもこの町にできれば戻ってきて、この田老っていうところをより良い町にしてもらいたい。
消防団の分団長として、菓子店の店主として。田中和七さんはこれからも、愛するふるさとのため、自分なりの歩みを続けていく。
