大相撲の元大関若嶋津で、元二所ノ関親方の日高六男さんが15日、肺炎のため千葉県内の病院で亡くなりました。

69歳でした。

関係者からは鹿児島が生んだ偉大な力士の死を悼む声が聞かれました。

沿道を埋め尽くす人々に笑顔で答える若嶋津。

今から44年前、大関昇進を祝い鹿児島市で行われた凱旋パレードです。

ファンに手を差し伸べる姿に優しい人柄が伺えます。

鹿児島のヒーローに街が沸きました。

元大関の若嶋津で、中種子町出身の日高六男さんは、左四つからのスピード感あふれる取り口を持ち味とし、浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒ひょう」の愛称で親しまれました。

1982年の九州場所後に大関に昇進し、1984年の春場所と名古屋場所の2回、優勝しました。

1987年に引退した後は年寄「松ヶ根」を襲名し、1990年に松ヶ根部屋を創設。

2014年には日本相撲協会の理事に就任していましたが、2017年10月に倒れて頭部の手術を受け、療養生活を続けていました。

日高さんの母校、鹿児島市の樟南高校には、学校が贈呈した化粧まわしが展示されています。

当時校長だった時任克暢さんはこれを見ると大関・若嶋津として活躍した頃の記憶がよみがえると話します。

当時校長・時任克暢さん(94)
「これをつけて土俵に上がった時はうれしかったですね!」

時任さんは、高校時代の日高さんはとにかく真面目すぎるほど真面目な生徒だったと振り返ります。

当時校長・時任克暢さん(94)
「相撲は力を持っているということで、監督はすごく期待していた。グングン伸びてきましたね、素直さがあったんでしょうね」

相撲界に入ってからも野球部の応援にかけつけるなど、母校を愛し続けていたという日高さん。

時任さんは早すぎる旅立ちを悼んでいました。

時任克暢さん
「『今から部屋を大きくしていくんだ』と、楽しみにしていたんですけどね」

故郷・種子島では小学生の時に巡業で来た若嶋津に胸を借りたという相撲関係者が、記憶をたどりながら話しました。

西之表市相撲連盟・美坂達也事務局長
「ただただ本当驚きでしたね。土俵に上がらせてもらって若島津さんの胸を借りた。小学校ながらにそういう時のことを思い出した。島民のみなさんの心の中に残る力士だったと思う」

日本相撲協会によりますと葬儀・告別式は3月24日に千葉県で執り行われます。

鹿児島テレビ
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