宮城県東松島市大曲浜地区。青い鯉のぼり200匹が空を舞っています。
この大曲浜地区では最大でおよそ6メートルの高さの津波が押し寄せ、326人が命を落としました。
「青い鯉のぼりプロジェクト」は、津波で祖父母と母親、当時5歳の弟・律さんを亡くした、東松島市職員・伊藤健人さん(32)が中心となり始まったものです。
律さんが大好きだった青いこいのぼりを、毎年、3月11日と5月5日のこどもの日に自宅があったこの大曲浜地区に掲げています。
このプロジェクトの歩みを振り返ります。
今年1月、東松島市で開かれた、二十歳を祝う式典。伊藤健人さんは、市の職員として、式典の運営を担当していました。
会場には、式に出席するはずだった、伊藤さんの弟、律さんの「二十歳の夢」が飾られていました。
『20歳になったらぷーるのこーちになりたい』
伊藤健人さん
「身の周りの20代の子たちとかを見ていて、まあきっと律もこれくらいの大人になったんだろうなあってしみじみと」
震災発生後、伊藤さんは、東松島市大曲浜地区で、律さんが大好きだったこいのぼりを掲げる「青い鯉のぼりプロジェクト」を始めました。
山積みとなったガレキの中を彷徨っていた時に見つけた、青いこいのぼり。弟が天国で寂しい思いをしないように。伊藤さんは、全国に協力を呼びかけ、震災発生からおよそ2カ月後のこどもの日、律さんが大好きだった青い鯉のぼり200匹を空に掲げました。
「青い鯉のぼりプロジェクト」はやがて、律さんだけでなく、震災で命を落とした全ての子どもたちへの祈りが込められた行事へと、発展していきました。
伊藤健人さん(当時18歳)
「自分が年をとって、死ぬまで続けたいし、もしできるなら代を継いで、100年200年も震災を忘れないために続けていってもらえたらいいなと思う」
資金面などで、継続が危ぶまれた時もありました。5年前には、弟の広夢さんが交通事故で亡くなり、さらなる悲しみが襲いました。それでも、ともにプロジェクトを続けてきた仲間たちが、健人さんを支えました。
伊藤健人さん(当時27歳)
「自分しか見えなくなる時に、お前は一人じゃないと言ってくれる仲間たちが自分のそばにいることが、本当に頼もしいし本当に幸せだと思っています」
3月7日、東松島市の集会所では、子供たちも参加し、色あせた鯉のぼりの塗り直しや、修復作業が行われました。
地元の高校1年生
「(震災を)ギリギリ経験してはいるんですけど、幼すぎて覚えていないので、この機会を通してちょっと震災と向き合ってみようかなと思って」
伊藤さんの、家族への思いから始まったプロジェクト。その思いは、次の世代へと受け継がれようとしています。
この青い鯉のぼりは、ことしも5月5日のこどもの日まで揚げられます。