正月といえば、おせち料理やお雑煮が食卓を彩るのが日本の定番。しかし、その常識を覆す「餅なし正月」という風習が存在することが分かった。“正月に餅を食べてはいけない”という背景には、白蛇の伝説や落武者の祟りといった言い伝えが隠されていた。福井に伝わる、この知られざる奇習の全貌に迫る。

餅を食べないのは元日だけ

福井市四十谷町で風習を守り続ける池上治義さん(86)の家を訪ねると、元日の朝の食卓に並んでいたのは…ご飯、卵焼き、煮物、おせち、みそ汁。確かにお雑煮は見当たらない。

池上家の元日の朝食
池上家の元日の朝食
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しかし、餅を一切食べないわけではなく、食べてはいけないのは元日だけ。12月末には餅をついてあって「あす、2日からは雑煮を作ります」と話す。

餅を食べないのは元日だけ
餅を食べないのは元日だけ

元日だけ餅を食べない理由。それは、池上家がかつて暮らしていた高台の集落に伝わる「白蛇の言い伝え」にあった。昔、ある家の者が正月に餅を煮ていると、囲炉裏の弦(つる)から白蛇が降りてきて、餅を食べてしまったという。

餅なし正月になった所以
餅なし正月になった所以

「餅を取られた元日だけ食べなければ白蛇はもう来ないだろう」と考え、以来、災いを避けるため元日は餅を食べない風習が代々受け継がれてきたという。

住民の転居や高齢化で、現在地域でこの風習を守るのは池上家だけとなったが「守っていきたい」と固い意志を語る。

民俗学者の金田久璋さん
民俗学者の金田久璋さん

美浜町在住の民俗学者・金田久璋さんによると「正月のお餅は歳徳神(としとくじん)』という稲の神様の霊魂が宿る神聖な食べ物で、お雑煮を食べる行為は、神様にお供えしたものを共にいただく神人共食(しんじんきょうしょく)という考えに基づき、神の力を体に取り入れる意味がある」という。

それをあえて食べない風習が生まれた理由について金田さんは、大陸から稲作文化が伝わる以前から日本にあった畑作文化との対立が背景にあると推測する。

稲作文化への拒否反応?
稲作文化への拒否反応?

稲作文化の象徴である餅への拒否感が「餅なし正月」の起源になったのではないかというのだ。

なぜ福井県に多い?「餅なし正月」の伝承

「餅なし正月」の風習は北海道と沖縄を除く全国各地に点在するが「福井県は特に多い」と金田さん。嶺北に12カ所、嶺南に5カ所の計17か所に伝承が残っているが、隣の石川県にはなく、富山県にも県境の1カ所のみであることからも、福井の多さは際立っている。

その理由は「福井平野や坂井平野といった大きな穀倉地帯を抱え、稲作文化が色濃い地域であったことと関係がある」と考えられている。

各伝承地には、それぞれの所以があった。

現在の福井市黒丸町
現在の福井市黒丸町

福井市黒丸町は南北朝時代、南朝の新田義貞のと北朝の斯波高経による激戦の地だった。正月も戦に明け暮れ、村人たちは雑煮を食べるどころではなかったとう。その記憶を忘れないため、約700年経った今も町内のほぼ全世帯がこの風習を守り続けている。

そして実は、白蛇伝説の四十谷町では「落武者の祟り」もあわせて語られることが多いという。「戦に敗れた落武者が食べ物を求めて民家を訪ねたが、餅を与えなかったために祟られ、翌年から餅をつく度に餅が血まみれになったり、天井から白蛇が降りてきたりする」という言い伝えだ。

その言い伝えを裏付けるように、町内の寺の一角には今も「落武者の塚」とされる石碑が静かに立っている。

集落内の川で分かれる「雑煮組」と「節組」

集落内で風習が分かれる場所も。

18世帯が暮らす高浜町上瀬では、集落内を流れる小川を境に、元日に雑煮を食べる「雑煮組」と、食べられない『節組(せちぐみ)』に分かれている。

川を境に雑煮組と節組に分かれている
川を境に雑煮組と節組に分かれている

一説には、明治時代に起きた大火の火元となった家への罰として始まったとされるが、民俗学者の金田さんはその由来について「歴史が浅すぎる」と疑問を呈しており、真相は謎に包まれている。

「節組」の土本さん
「節組」の土本さん

元日に餅が食べられない「節組」の土本保(76)さんは、実は国の『現代の名工』にも選ばれた木工芸職人。伝統工芸に携わる身として「先祖からの伝承を大事にしたい」と今も一家で守り続けている。

時代の流れとともに薄れゆく風習がある中、「餅なし正月」は、戦の記憶や神々への畏怖など、先人たちの思いを汲み静かに守り継がれていた。

福井テレビ
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