ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から4年が過ぎました。
ウクライナ侵攻後、宮崎市に家族5人で避難してきた42歳の女性は、避難生活が長引くなか、生活の安定に向け新たな一歩を踏み出しました。

(ヴォロキティナ・オレナさん)
「(この4年は)長かったもちろん。私は考えた、たぶん1週間、2週間で終わっているね、戦争。みんなそれを待っていた。『たぶん、もう少しで戦争終わってるね』『早く終わってほしい』とか。でも終わってないですね。4年になった」

ヴォロキティナ・オレナさん42歳。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってからおよそ3カ月後、当時4歳から14歳の子ども3人を連れて、夫のディミトロさんとともに、宮崎市に住むウクライナ人の友人を頼って避難してきました。

(ヴォロキティナ・オレナさん)
「(ウクライナでは)普通に生活していたのに、どうしてこんなことが起きたのか信じられない。仕事をして、子どもたちを育てて、普通に暮らしていたのに、全部が壊れた」

オレナさん一家が暮らしていたのは、ロシアとの国境近くに位置する第2の都市ハルキウ。
民家も攻撃され市民にも死傷者が出るなか、戦争が日常の一部になっていったといいます。

(ヴォロキティナ・オレナさん)
「みんな慣れた。最初は、みんなストレスとか怖い(と感じていた)。でもだんだん毎日(攻撃が)ボン、ボン、ボン(とあるから、)あまり関係ないとなったのね。それは一番怖いでしょ」

いつ終わるかわからない避難生活。
それでも、2022年には、当時働いていたレストランでボルシチを提供するなど、オレナさんは宮崎に溶け込みながら、生活を安定させようと模索してきました。

(ヴォロキティナ・オレナさん)
Q.宮崎の生活はどうですか?
「すごい好き。最初来た時、1、2年は、いつも(ウクライナに)帰りたい(と思ってた)。今はすごい慣れた。ここに仕事がある。子供は勉強できる。いまウクライナに(帰っても)何もない、私の家族。だからすぐには帰らない。戦争終わったあと1年とか、もちろん日本に住んでる」

オレナさんは、去年5月、ウクライナでもネイリストとして仕事をしてきた経験を生かし、宮崎市瀬頭のビルの一角にネイルサロンを開きました。

(ヴォロキティナ・オレナさん)
「日本に来た時、あんまり仕事がなかった。いつも、仕事したい(と思ってた)。好きな仕事はネイル。だから、いつも考えていた。どこでサロンとか、小さいお店とか(を開こうかなと)」

好きな仕事ができる喜びと同時に、家族を支える大事な収入源という現実的な側面も避けては通れないと話します。

(ヴォロキティナ・オレナさん)
「すごい嬉しい。好きな仕事ができる。お客さんが言ってくれた『あ〜かわいい!好き』がうれしい。まだ私の給料は少ない。だんだん、頑張ってるから、いっぱいになると思う。いっぱいにしたい、家族のためにね。」

故郷ウクライナに思いを馳せながらも、オレナさんの表情からは、長引く避難生活という現実を受け入れ、前へ進んでいかないといけない、そんな覚悟が伝わってきます。

テレビ宮崎
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