渓谷美で知られる「厳美渓」などがある岩手県南部に位置する一関市。
厳美渓周辺の地域一帯は一関市厳美町といい、その「厳美」という地名にはどのような由来があるかを探ります。

厳美町の「厳美」の由来は厳美渓ではないかと考えられます。
厳美渓の文字は、江戸時代末期に建立された石碑に記されていますが、地名に「厳美」という呼び方が採用されたのは1889年(明治22年)。その後、厳美村から厳美町になりました。

この一関市厳美町の西側には「本寺」という地区があります。
この地区には、奥州藤原氏ゆかりの荘園遺跡「骨寺村荘園遺跡」があります。

地区名である「本寺」、そして遺跡の名称にある「骨寺」、2つの地名は、どのような関係があるのでしょうか。

長年にわたり岩手県内の地名を調査している宍戸敦さんは次のように説明します。

宍戸敦さん
「本寺は、元々は骨寺村と言ったのが、本寺に変わったと考えられる。骨寺村は鎌倉時代終わりの絵図に「骨寺跡(ほねでらあと」あるいは「骨寺堂跡(ほねでらどうあと)」という文字が書かれている。これが骨寺村の由来となったと言われています。この骨寺堂というのは、骨を分骨した場所。そういう施設があったところではないかとも言われていますが、発掘では出てきてはいません。それ以外にも慈恵大師(じえだいし)のどくろ伝説があります」

どくろ伝説について詳しく知ることができるということで、骨寺村荘園交流館を訪ねました。
一関地方の史跡や名勝を案内する「いわいの里ガイドの会」の田中政春さんは「どくろ伝説」を次のように説明します。

いわいの里ガイドの会 田中政春さん
「この村に一人の娘がいて、その娘がお経を習いたいと考えていたが、村には教えてくれる人がいなかった。ところがある日突然、屋根裏から『娘よ、娘よ、私が教えてしんぜよう』という声が聞こえた。その声が7日7夜続き、娘は天井裏の声でお経を教えてもらった。8日目に娘が恐る恐る屋根裏を覗くと、舌が出ているどくろを見つけた」

このどくろは、比叡山の高僧慈恵大師だと名乗りました。
娘にお経を教えたのは、この屋根裏のどくろだったのです。

田中さんによると「そのどくろが『娘よ、今すぐ私の首を逆芝山(さかしばやま)に届けてくれ』と言い、娘はそのどくろを逆芝山に届けて葬った伝説がある。骨寺村の地名は、どくろ伝説に由来しているのではないかと言われている」と説明します。

伝説の中で娘がどくろを葬ったとされる逆芝山には祠が残されています。
どくろが葬られたといわれている「慈恵塚」には、江戸時代に築いたとされる石の祠などが残っています。

古くから語り継がれてきた伝説と、現代に残る風景。そのつながりを知ることで、一関の土地に刻まれた歴史の重なりを感じられます。

岩手めんこいテレビ
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