岩手県の南部に位置する一関市は、2005年に一関市・花泉町・大東町・千厩町・東山町・室根村・川崎村が合併。さらに2011年には藤沢町が加わり、現在は県内で2番目に広い面積を有している。

一関の地名の由来について長年にわたり岩手県内の地名を調査している宍戸敦さんは次のように説明します。

宍戸敦さん
「一関の『関』は2つの説が考えられている。一つは『関所』や『砦』」という意味の『関」、もう一つは水を調節したり、水路に流すという『堰』。現在の『関』という字は関所の「関」ですが、水が流れる「用水堰」の考え方が主流となっている。奥州市水沢の正法寺に残る資料には、正法寺の末寺として一関の願成寺があり、その願成寺の住所を見ると、一関のせきは土偏の『堰』を使っていることから、用水堰の「堰」という字が由来ではないかと考えられます」

一関で「堰」の存在を語るうえで欠かせないのが、農業用水路「照井堰」です。
県南部の歴史に詳しい「岩手県南史談会」の大島晃一さんは、次のように説明します。

岩手県南史談会 大島晃一さん
「磐井川の上流、厳美渓付近から引かれた用水が『照井堰』で、磐井川北側を通って一関の町に流れています。鎌倉時代以降につくられたといわれています。堰は上流から順に「一ノ堰」「二ノ堰」「三ノ堰」と呼ばれ、その呼称が地名へと発展したのではないか。江戸時代の少し前頃になると、表記が“堰”から“関”へと変化したと言われています」

照井堰が流れていた場所との関連性は定かではありませんが、江戸時代初期、現在の一ノ関駅周辺は、西から「一関村」「二関村」「三関村」と呼ばれる地域でした。

大島さんによると、当時の三関村は「駅の東側の田んぼが多かった農村地帯だった」といいます。
その後、二関村・三関村は1875年に一関村へ編入され、現在の一関市の基礎となった。

一関市赤荻に、「照井堰」の名残があるといいます。

岩手県南史談会 大島晃一さん
「中世から江戸時代、明治以降、そして今に至るまで、この地を潤している水路です」

一関の地名に隠された“堰”の歴史は、地域の暮らしと水が深く結びついてきた証でもあります。
現在も静かに流れ続ける照井堰を前にすると、この土地を支えてきた人々の営みが確かに息づいていることを実感できます。

岩手めんこいテレビ
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