チームジャパンの活躍が続くミラノ・コルティナ五輪。その開会式で、各国選手団に続いて入場した五輪旗、白地に青、黄、黒、緑、赤の5つの輪が描かれたオリンピックの象徴である旗を持つ8人の旗手のうち、1人が日本人であったことをご覧になっただろうか。前広島市長の秋葉忠利氏である。
帰国した秋葉氏に、旗手に選ばれた経緯などを聞いた。
現在も核兵器廃絶を目指し活動
――開会式、お疲れさまでした。帰国後も観戦していますか?
前広島市長・秋葉忠利氏:
はい、素晴らしいシーンから目が離せません。印象的なのは日本選手が良い意味で「大人」だということ。精神的な成熟とスポーツの力とは関係がある気がします。他の分野でも若者が「大人」として社会を引っ張って欲しいですね。
――五輪旗と行進していた時の気持ちを教えてください。
秋葉氏:
頭にあったのは、もう亡くなった被爆者のみなさんでした。そして今も活躍されている被団協のみなさん。その方々と一緒に歩みを進めているんだという気持ちでした。
――依頼はいつどのような形で来たのでしょうか?
秋葉氏:
去年10月半ば頃に、イタリアのルチアーノ・パヴァロッティ財団(世界的オペラ歌手パヴァロッティ氏の遺志を受け継ぎ、若手歌手の育成や人道支援を行っている)から、旗手として参加して欲しいと依頼が来ました。これまでの平和への活動が認められたようです。
秋葉氏は東京都出身。数学者として日米の大学で教鞭を執った後、衆議院議員、広島市長などを歴任。現在も核兵器廃絶を目指し活動を続けている。2010年には、アジアのノーベル賞ともいわれるマグサイサイ賞を受賞した。他の旗手には、難民選手団選手として初のメダリストとなったヌガンバ氏など世界のレジェンドアスリートに加え、人道支援団体会長や元国連難民高等弁務官などが選ばれた。
――飛行機やホテル、ユニホームなどはどう準備しましたか?
秋葉氏:
ユニホームはアルマーニです。現地でフィッティングしました。デザインは去年亡くなる前に終えられていたようです。飛行機やホテルの手配は全てパヴァロッティ財団がやってくれました。
秋葉氏と筆者が知り合ったのは40年以上前。当時、アメリカのタフツ大で准教授を務める一方、「アキバプロジェクト」(アメリカのジャーナリストを原爆投下の日に合わせて広島と長崎に招き、取材して帰国後に記事を書いてもらう活動)を続けていた。
高校時代にアメリカに留学し、歴史の授業の中で「原爆は戦争を早く終わらせるためのもので、多くの命が救われた」という話があり衝撃を受けたことが、その後の人生を決めた。
――広島市長時代には、広島での五輪開催に向けて尽力していました。このような形でオリンピックに参加したことをどう感じましたか?
秋葉氏:
ヒロシマ・オリンピックは、「スポーツの祭典」だけでなく「平和の祭典」「都市の祭典」としての五輪という意味を軸にしたものになるはずでした。これが契機になり、いつか広島での五輪開催が実現することを期待しています。
