母が遺した夢を継ぐ娘、タンザニアで育つ200人の子供たち
長野市でりんご農家の夫と暮らす、タンザニア出身の小林フィデアさん。母国の子どもたちのために支援活動を続けています。2年ぶりに故郷タンザニアを訪れたフィデアさん。亡き母レジーナさんが人生をかけて築いた孤児支援施設「スワッコ」は、設立から25年を迎えていました。草原だった土地に広がる施設、そこで暮らす子どもたち、そして日本で育った娘・サラさんの新たな決意。三世代で受け継がれる支援の物語を追いました。
草原から家族の居場所へ――25年で築いた「スワッコ」
15年ぶりに訪れたサンクゼールの経営者・久世夫妻の目の前に広がっていたのは、かつての草原とは別世界でした。
4歳から中学3年生までの43人が家族のように暮らす施設が整い、フィデアさんの希望で建てられた幼稚園は、日本から寄贈された机や椅子が大切に使われています。
「言葉にならないくらい感謝しています」
施設を案内するフィデアさんの表情には、支えてくれた人々への思いがにじみます。久世さんも「これからは子どもたちが羽ばたく番」とこれまでの支援の成果を実感していました。
支援から自立へ 未来を見据えた取り組み
スワッコでは、持続可能な運営を目指した取り組みが進んでいます。トウモロコシを粉に加工する施設や裁縫室を整え、将来的な収益化を視野に入れています。
平均月収が日本の数%にとどまるタンザニアでは、施設の自立が大きな課題です。
多くの孤児が教育や医療を受けられない現実の中で、スワッコの子どもたちは衣食住を守られ、農園や家畜とともに暮らしています。
支援で「守る」段階から、「自ら生きる力を育てる」段階へ。活動は次のフェーズに入っています。
受け継がれる志 娘サラさんの新たな一歩
25周年の節目に集まったのは、かつてスワッコで育った若者たち。25年間で巣立った子どもは約200人にのぼります。フィデアさんはこの地を「祝福の村」とし、学校や病院を備えたコミュニティづくりを思い描いています。
そして、その思いは娘サラさんへ。
日本で育ったサラさんは、支援を形にするため事業計画書を作成し、新たな挑戦を始めました。
「日本から応援できる形を作りたい」。祖母から母へ、母から娘へー
支援のバトンは静かに、しかし、確かにつながれています。
※この記事は2026年1月16日にNBS長野放送でOAした「フォーカス信州 愛はポレポレ~小林フィディアの生きる道~」をもとに構成した内容です。(全3回の記事その3)