上皇さまが正座して玉音放送を聞かれたゆかりのホテル リニューアルして開館

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  • 上皇ご夫妻は京都で明治天皇と孝明天皇の陵墓をご参拝
  • 高円宮妃久子さまと長女の承子さまは、栃木で上皇さまゆかりの建物へ
  • 上皇さまが正座して玉音放送を聞かれた建物がリニューアルして開館

上皇ご夫妻 ご退位最後の儀式で京都へ

上皇ご夫妻は、6月11日から13日まで、ご退位に関する最後の儀式となる、京都府にある明治天皇の陵墓とその父、孝明天皇の陵墓を参拝されました。
上皇后さまは、心臓の血流や不整脈などがおありだという発表が宮内庁からありましたが、大きな負荷がかからなければ日常生活には問題がないということで、ゆっくりと階段を上り、これまでとお変わりない様子で無事参拝を終えられました。

6月12日 京都市
6月12日 京都市

高円宮久子さまと承子さまは上皇さまゆかりの建物へ

上皇ご夫妻が京都府を訪問されている、6月12日、高円宮妃久子さまと長女の承子さまは、栃木県益子町を訪れ、ある式典に出席されました。この式典は、上皇さまゆかりの建物がリニューアルされ、開館を記念して行われたものでした。

6月12日 栃木県益子町

開館したのは「ましこ悠和館」。実はこの建物は、旧南間ホテルを修復したものだったのです。
南間ホテルは明治15年(1882年)、栃木県の奥日光で開業したホテルで、すでに開業していた日光金谷ホテルなどと同じように、外国からの観光客などを相手にした、今でいうリゾート型のホテルの走りとして人気を集めました。
このホテルが歴史に名を残すことになるのは、昭和のことでした。

旧南間ホテルをリニューアルして開館した「ましこ悠和館」(栃木県益子町)

上皇さまが少年時代に疎開されていた栃木

上皇さまは、昭和19年(1944年)に入り、戦況が悪化、都内などへの空襲による被害を懸念し、この年の5月静岡県にある沼津御用邸へと疎開しましたが、7月、より都心から離れた日光にある田母沢御用邸へと移動されています。
当時、10歳でいらした上皇さまは、学習院初等科5年生で、このとき、学習院の初等科の一部の児童も日光金谷ホテルに疎開したのです。
上皇さまは御用邸で暮らしながら、日光金谷ホテルで初等科の授業を受ける生活を送られました。

1986年8月 旧田母沢御用邸(栃木県日光市)
1986年8月 旧田母沢御用邸(栃木県日光市)

田母沢御用邸は、日光出身の実業家の家に徳川家の屋敷から建物の一部を移設するなどし、また新築の部分も含め大正天皇のご静養の御用邸として明治末期に作られました。大正期にも増築するなどして大正10年(1921年)には今の形にできあがったということです。
大正天皇の晩年まで、ご静養のための御用邸として使用され、数ヶ月にわたり滞在したこともあったということです。
上皇さまは、この御用邸の大正天皇の后、貞明皇后のためのお部屋で寝泊まり勉強をし、およそ一年間生活されました。

しかし、終戦も近くなった昭和20年(1945年)7月。この日光に軍需施設があったことなどから空襲などを恐れ、より山奥の奥日光へと居を移されます。
そして、奥日光湯の湖のほとりにたつ南間ホテルに入られたのです。

上皇さまが正座されて「玉音放送」を…ホテルがたどった数奇な運命

この南間ホテルで終戦を迎えられた上皇さま。昭和天皇の終戦を告げる「玉音放送」を南間ホテル別館の2階、御座所で正座しながらラジオで聞かれたといいます。

旧南間ホテル別館の御座所だった部屋(栃木県益子町 「ましこ悠和館」)

この南間ホテル別館はその後、数奇な運命をたどります。
ホテルは経営が傾き廃業しましたが、昭和48年(1973年)に当時、陶芸家の浜田庄司などが提唱していた「民芸運動」などの影響から、明治時代の建築物だった南間ホテル別館を益子町の窯元「つかもと」が譲り受け、益子町に移設しました。
益子町では、南間ホテル別館は宿泊施設として利用されました。

昭和55年(1980年)には、栃木県で開催された国体の開会式に出席した当時、皇太子ご夫妻だった上皇ご夫妻は、この南間ホテル別館を訪れ、御座所で昼食をとられています。
その際、上皇さまは御座所を懐かしそうにご覧になっていたそうです。

平成6年(1994年)からは「つかもと平成館」として宴会場やイベント会場として使用された南間ホテル別館ですが、老朽化が進み、平成26年(2014年)にクローズ。平成28年(2016年)、「つかもと」は益子町に建物を譲渡していました。

今回、「ましこ悠和館」としてよみがえった南間ホテル。開館式典で、出席した高円宮妃久子さまは次のようにお言葉を述べられています。

「明治15年に栃木県日光市において創業された南間ホテルが、ましこ悠和館という新たな名前を得て、宿泊施設として、また、平和について学ぶ場所として活用されることとなりました。多くの方々のご尽力により、歴史的な建物が次の時代へと継承されていくこと、誠に意義深いことと存じます」

玉音放送の流れる御座所…いま平和を学ぶ場所に

「ましこ悠和館」は今後、宿泊施設としてだけではなく、上皇さまが玉音放送をお聞きになった御座所を公開し、平和を学ぶ場所として活用されることになります。

この日、内覧会で御座所をご覧になった久子さまと長女の承子さまは、「意義深いですね」「建物が言葉を発することができれば、どれくらい語り部をしてくれたでしょう」などと感慨深げにご覧になっていました。

御座所の中には、ボタンを押すと、玉音放送が流れる仕組みができていて、
久子さまと承子さまは、玉音放送が流れ出すと、畳の上に正座し聞き入られました。
そして、「あの部屋で正座して聞いてもらいたいです」と感想を述べられていました。

玉音放送を聞かれる高円宮妃久子さま

南間ホテルで平和についてお考えになったであろう上皇さま。
久子さまは平和への思いについてお言葉でも述べられています。

「陶芸には火が欠かせませんが、動物の中で、火を操れるのは人類だけです。
人類は、火を手に入れたことにより、暖をとり調理をし、道具、そして土器を作り、世界中、どのような場所をも自分の生息地として、他の動物を脅かす存在になりました。
人間は火を使ってモノを作り、そして火を使ってモノを破壊することを覚えました。
玉音放送をお聞きになった後帰京された陛下が、ご覧になったのは、火により焼き尽くされた東京の姿でした。日本と世界の安寧を祈り、戦没者の慰霊を大切にされてきたのは、このようなご経験が原点となっていたのかもしれません。
悠和館は末永く平和の尊さを伝える建物として命名されたと伺いました。
現在、世界各地で紛争が後を絶ちません。日本でも、戦後73年経ち、戦争を経験していない世代が大多数を占める時代であるからこそ、わたくしたち一人一人が平和について勉強し、世界においての日本を考え、各国との相互理解に努めなくてはなりません。
令和の時代とともに開館した悠和館が益子に来られた多くの方々に益子焼の魅力をアピールするとともに、平和を考える機会を提供していただければ幸いです」

上皇さまにとって、ご在位中、最も心をくだかれたことの一つが世界平和を祈られることです。その原点といってもいい南間ホテルでの疎開生活を今に伝えるのが「ましこ悠和館」なのです。

【執筆:フジテレビ 解説委員 橋本寿史】

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