北海道出身の企業の躍進が止まらない。
特にニトリ、ツルハドラッグなどは、日常的に利用していて、北海道発の企業だと知らない人もいるかもしれない。
北海道を拠点に展開するコンビニエンスストア「セイコーマート」は、過疎地への出店や時間営業に固執するといったコンビニ大手チェーンとは一線を画するビジネスモデルにもかかわらず、生き残り、さらに成長を続けている。
人口減少、少子高齢化などさまざまな課題がある中、どんな逆境でも生き抜く強さを持ち、市場の拡大を続ける“ノーザンリテーラー”がどのように立ち向かってきたのかを記した、日本経済新聞・白鳥和生氏の著書『不況に強いビジネスは北海道の「小売」に学べ』(プレジデント社)から、セコマが考える“ブランド”戦略などについて、一部抜粋・再編集して紹介する。
市場シェアから「顧客シェア」「マインドシェア」へ
マーケティングの世界では、かつての経済成長期に重視されてきた「市場シェア」に代わって「顧客シェア」が重視されている。
顧客シェア戦略は、ある時点で特定の顧客に集中して、可能なかぎり幅広く関連する製品やサービスを提供し、生活課題の解決に参加し、生涯を通じた信頼と愛顧を獲得しようとするものだ。
顧客との関係性を重視する戦略。つまり長期にわたる相互関係、顧客が生涯の間にもたらす全利益の大きさ、いわゆるLTV(顧客生涯価値、ライフタイムバリュー)が中核的な関心事になってくる。
特に人口減少が進む中、顧客シェアを高めることは必須課題であり、その顧客が自社に与えてくれる収益(生涯価値)を最大化することが求められる。
顧客シェアを獲得するためには「マインドシェア」も大切なポイントに。マインドシェアとは 「消費者の意識の中でのブランドのシェア」であり、シェアを高めるためには生活者にとってなくてはならないブランドや店になることが欠かせない。
商品やサービスはもちろん、「地域を守る」「よりよい商品を欲しいときに提供する」といった企業の姿勢を抜きにしては語れない。LTVは言い換えれば、自社の商品・サービスやブランドが顧客に絶やすことなく価値を提供し、愛され続けていることを証明する端的な指標だ。
ノーザンリテーラーは人口が減少する北海道市場で、早くからこのことに気付いていたといえる。
「メーカー」の顔も持つセコマ
厚真産ハスカップ、貴重な北見産のハッカなど、セコマのアイスクリーム売り場には北海道の原材料を使った商品が数多く並ぶ。
これらはグループの製造子会社が手掛けている。セコマは大手チェーンとは一線を画するビジネスモデルにもかかわらず、なぜ生き残れているのか。
秘密は「メーカー」としての顔に隠されている。グループに全国22のうち道内21の工場(製造子会社)を抱え、北海道産の素材を生かしたアイスや乳製品、惣菜、弁当、菓子などのプライベートブランド (PB、セコマではリテールブランドと呼ぶ)を幅広く製造する。
2007年には農業に参入し、直営農場でトマト、キュウリ、ネギなど種類の野菜を作っている。 創業時は1店のコンビニエンスストアから始まったセコマも、現在では道内175市町村に1000以上の店舗網を有する。「農業生産・製造」「物流・卸」「小売」を担う28社によるサプライチェーンも築いた。
北海道に集中し、製造と物流を自前で手掛け、店舗も直営が8割。セブン‐イレブンやファミリーマート、ローソンの大手3社が志向する高効率システムの逆を行く。
当初は売れなくてもじっくり育てていくのがセコマ流だ。
セコマ・丸谷智保会長は「『あの店は牛乳がおいしいから買いに行きたい』『お手頃な価格でおいしいワインが買える』と、はっきりした商品に対する意識を持ってセイコーマートの店へ足を運んでくれる。行く途中にほかのコンビニがあっても、そこを通り越して行かないと買えない商品がブランド。これを長く育てるという意味ではリテーラーが自ら開発していくべきだ。だからPBは安くて売れるから出したいとか、NB商品をコピーして少しでも安く出したいといった考え方ではなく、リテーラー自身が育成して企業の顔になっていく商品だ」と話す。
この記事の画像(4枚)さらに他社との違いを打ち出す戦略で展開するのが店内調理の「ホットシェフ」。故・赤尾昭彦氏(社長・会長を歴任)が1994年から試行錯誤を繰り返しながら育ててきた。
現在はカツ丼、フライドチキン、クロワッサンなど常時30種類以上の作りたての商品を提供。年間6000万食を販売する営業の柱に育っている。
店内でご飯を炊き、カツを揚げて作るカツ丼は、セコマ商品の中で売上金額第1位。“秘伝”のプレミックス粉を使ったフライドチキンは全商品の中で販売数第1位。
「ハセスト」の愛称で親しまれ、2004年にグループ入りしたハセガワストア(函館市)の名物「やきとり弁当」(焼き鳥ならぬタレ味の豚串がのり弁当にのる)も、コンビニによる店内調理の草分けといえる。
セコマは実は日本初のコンビニだった?
コンビニ業界はセブン‐イレブン・ジャパンの模倣が多いといわれる。だが、セコマには海外に学ぶ遺伝子がある。付け加えるならセコマの1号店は1971年でセブン‐イレブンより2年早い。
1976年に全米コンビニエンスストア協会(NACS)、翌年にはオランダの国際SPAR(スパー)本部に加盟。店づくりや商品開発で海外の先進情報をフル活用してきた。
SPAR本部はもともとオランダの中小の小売店が食料品や雑貨などを共同で仕入れるために設立され、欧州を中心に世界展開するボランタリーチェーン。セコマが地区本部「北海道スーパー」を1979年に設立し、加盟店の募集と店舗の運営指導を始めた。
この関係は2016年に終わるものの、PBに力を入れる必要性も学んだ。また、「ホットシェフ」に使うレストラン仕様の調理機などは欧州の展示会をきっかけに調達したものだ。欧米市場で共同仕入れをする現地企業の一つとして調達ルートを開拓し、現地情報に裏打ちされた姿勢が独自性を育んだ。
セコマは欧米のチェーンをベンチマークし、独自のコンビニチェーンを築き上げた。酒類卸の丸ヨ西尾の社員だった赤尾氏は、“取引先の近代化を図らないと、卸は駄目になってしまう”という危機感から、すでにコンビニチェーンが確立していた米国に渡り、通訳を雇ってオーナーや店長の話を聞くなどして、チェーン理論の研究を重ねた。
そして「米国のコンビニのレイアウトを手描きで写し取るなどして1号店を開設した」(丸谷会長)という。 ホットシェフや、他のコンビニよりも手掛けるのが早かったイートインも米国にヒントがあった。
赤尾氏が1980年代に米フィラデルフィアのミニスーパーを視察した際、店の真ん中に小さなテーブルが置いてあり、そこで若者たちが店内で購入したパンを食べ、牛乳を飲んでいる光景が目にとまったのがきっかけだった。
北海道ブランドを道外へ売出し、地元へ還元
セコマは北海道の人々の暮らしや雇用を守るために、北海道ブランドを積極的に外販している。出自は卸売業であり、もともと道内では他の小売業、ホテル、レストランなどへの販売があった。
今は道外に積極的に進出し、関東、四国、九州へ販路が広がっている。主要取引先には、ドラッグストアのウエルシアホールディングス、スーパーマーケットのライフコーポレーション、イオン九州などが名を連ねる。
現在は牛乳やアイスクリームの売り上げが多いが、サワー類やカップラーメンなどの引き合いも出ている。さらにアジアへの北海道ブランドの輸出にも本格的に乗り出す。すでに香港へは定期的に輸出しているほか、シンガポールや台湾などへはスポットで輸出実績がある。
セコマグループの2021年売上高は1904億円。外販の売り上げはまだ150億円とわずかだが、丸谷会長が先頭に立って営業活動に当たる。
北海道から本州へ商品を運ぶ物流費の問題があるものの、スポットではなく定番として扱ってもらったり、本州からの物流の帰り便を活用したりすることでコストを吸収する。
外販で得た利益を北海道に還元し、地域を守っていく姿勢を貫く。さらにセコマは事業を展開する中で、持続可能な社会を目指しフードロス削減とエネルギーの有効利用にも取り組んでいる。
このように常に社会的存在意義を問い続けるノーザンリテーラーは、自社の存在を意識することで個性を放っている。そして“ビジョナリー・カンパニー”として産業や社会を多様なチャレンジへと導こうとしているのだ。
白鳥和生
日本経済新聞社編集総合編集センター調査グループ調査担当部長。小売、外食、卸、食品メーカー、流通政策を長く取材。2003年消費生活アドバイザー取得、2020年日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。國學院大学および日本大学大学院の非常勤講師も務める。著書に『即!ビジネスで使える 新聞記者式伝わる文章術』(CCCメディアハウス)などがある