当時の当主だった父の中島浩司さんは、数千万円もの借金をして酒蔵を修復した。二度と同じ目に遭わぬよう、耐震工事も施した。その後、60歳の若さで浩司さんが亡くなると、息子の遼太郎さんが父の意志を継いで、中島酒造店の名前を守り続けてきた。その最中での、再びの震災である。

ボランティアの力も得て、倒壊した酒蔵の下敷きになった酒米を取り出す(写真:中島酒造店)
ボランティアの力も得て、倒壊した酒蔵の下敷きになった酒米を取り出す(写真:中島酒造店)

一時は絶望にくれた遼太郎さんだが、瓦礫の撤去を手伝ってくれている仲間から朗報がもたらされた。瓦礫に埋もれて駄目になったと思われた酒米が、どうやら無事らしいというのである。それは震災から17日目のことだった。

酒米は奇跡的に、袋に入ったそのままの状態で残っていた(写真提供:中島酒造店)
酒米は奇跡的に、袋に入ったそのままの状態で残っていた(写真提供:中島酒造店)

米がなければ酒は造れない。瓦礫を取り除き、ジャッキを噛ませて柱や屋根を持ち上げ、慎重に米袋を救出する。一部、袋が破れて米が散逸してしまったり、ガラス片が突き刺さったものもあったが、幸いなことに3トンほどの酒米を回収することができた。

酒蔵は今もその機能を失ったままだが、救出された米が確保できたことで、中島酒造店は再び息を吹き返した。現在は、同じく石川県小松市で160年もの歴史を持つ老舗の東酒造に協力を仰ぎ、遼太郎さんは能登を代表する酒のひとつ「能登末廣」を造り続けている。

震災の年の「能登末廣」。東酒造の助力も得て新酒を醸すことができた(写真提供:中島酒造店)
震災の年の「能登末廣」。東酒造の助力も得て新酒を醸すことができた(写真提供:中島酒造店)

「小松は本当にいいところです。いまは東酒造さんに助けていただいて酒作りをしていますが、少しでも早く輪島に戻って、以前のように酒造りをしたいです。ここでやっていたから、ここでまたやりたい」

輪島の酒が復活することは、輪島の復興でもあるのだと、中島さんは言う。

酒造りに適した石川県の風土

「日本四大杜氏」という言葉がある。岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏、兵庫県の但馬杜氏、そして石川県の能登杜氏。これら4つの杜氏集団を称して「日本四大杜氏」と呼ぶ。それほど能登半島という土地は、気候、風土において酒造りに適した土地なのだろう。