一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。
今回の舞台は、京都のJR二条駅前からスタートです。
今回兵動さんが受け取ったのは、1952年(昭和27年)に京都市内で撮影された古い写真。写っているのは、何やら古い建物の入口のように見えます。入り口前には「陣屋」と書いてあり、近くには縁側のようなものもあります。
「これ何?お店かな?」と予想するものの、看板が「達筆すぎて何にも読まれへん」と頭を抱える兵動さん。
まずは三条会商店街で地元の方々に聞き込みを開始します。
■謎の建物「二条陣屋」の噂はさまざま…
商店街を進みながら聞き込みを続けると、「二條陣屋」という建物があるとの重要な情報が。
しかしそれが何なのか、まだはっきりしません。
さらに通行人の男性からは「二条陣屋は忍者屋敷みたいなもんや」という驚きの証言も。
【通行人の男性】「二条城からトンネル潜って、そこから出てくるとこや。もう要するに忍者屋敷みたいなもんやね。本当かどうかは分からないけれども」
その後、和雑貨のお店で聞くと、場所が判明しました。
■重要文化財「二條陣屋」に到着
情報を頼りに歩くと、立派な木造建築の前に到着しました。看板には「重要文化財 小川家住宅 二條陣屋」と書かれています。
建物の管理をしている小川さんにお話を伺うことに。実はこの建物、単なる観光スポットではなく今も人が住んでいる家だったのです。
【小川さん】「ここで生まれてずっと65年ここに住んでます」
【兵動大樹さん】「今も住んでるんですか?」
【小川さん】「今も住んでますよ。ここしかないんですよ家は」
達筆すぎて読めなかった看板は「起て きけ 此 ホトトギス」と書いてありました。
【兵動大樹さん】「ホトトギスとは読めへん」
■隠し階段や隠し部屋まで…複雑すぎる構造に兵動さん驚き
住人の小川恭弘さんの案内で中に入ると、これが普通の家ではないことがすぐに分かります。天井には小さな窓が...。
【兵動大樹さん】「これ何?」
【小川恭弘さん】「窓やね」
【兵動大樹さん】「陽をとる用の窓?…え?部屋になってんの?」
【小川恭弘さん】「これは上からずっと下の様子を伺ってたんですね。見張り部屋がある」
さらに驚きのカラクリが次々と明かされていきます。廊下の天井には隠し階段があり、さらに隠し部屋まで!建物の構造そのものが複雑で、部屋の段差が多く、いくつもの隠し通路や監視用の仕掛けがあります。
【兵動大樹さん】「ほんまに忍びのものやて、ご先祖さんは。ほんまにからくりがすごいね。二条城から穴で繋がってると思ってる」
【小川恭弘さん】「それはさすがにないと思います」
■「公事宿」としての二條陣屋の歴史
なぜこのような不思議な造りになっているのでしょうか。
小川さんによると、創建されたのは350年前、現存の建物は約170年前に建てられました。この建物は「公事宿(くじやど)」という特殊な目的を持っていたそうです。
【小川恭弘さん】「ここね京都に町奉行って言って、裁判所みたいなとこあったんですよ。そういうお客さんだけ専門にここ止めてた。そういう宿屋でね、公事宿って言うんです」
裁判のために京都に来た人たちが滞在する宿として機能していたのです。裁判が長引くこともあり、その間、宿泊者を見守る役割や監視する意味を持つ仕掛けが屋敷の至るところに施されていました。
【小川恭弘さん】「こちらのお泊まりの大事なお客さんを、襲うような無礼な者がいたらすぐパッと飛び降りてくれるように」
実は二條陣屋は、戦争中に訓練場にするため取り壊されそうになったこともありましたが、ある東京の教授の働きかけで国宝に指定され、現在は重要文化財として保存されています。
■自宅が「重要文化財」の苦労も…
自宅が重要文化財である苦労もあるようです。
【小川恭弘さん】「大規模な修繕は85%は国や府が出してくれるんですけど、残りの15%は自費」
【兵動大樹さん】「3000万の修理しようと思ったら…」
【小川恭弘さん】「3億です。一桁違うんですよ」
【兵動大樹さん】「4~5000万を自腹で出していかなあかんの?守っていく大変さがあるね」
【小川恭弘さん】「ほか住むとこないしね」
【兵動大樹さん】「重要文化財に住めることなんて何人おるかっちゅう話や。こんなもん体張ったギャグやから」
【小川恭弘さん】「うまいこと言いますね」
皆さんも一般公開されているこの不思議な屋敷を訪れてみてはいかがでしょうか。(二條陣屋HPより完全予約制)
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2025年12月19日放送)