2020年・2022年の2度の水害を乗り越え営業を続けてきた大江町左沢(あてらざわ)の老舗旅館が廃業することになった。水害を防ぐ堤防の建設に伴って移転を求められ、女将がした決断・旅館最後の日に密着した。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「いい具合に焼けてきたぞ」

12月22日、大江町左沢にある「あてらざわ温泉湯元旅館」では女将の柏倉京子さん(70)が夕食の準備に追われていた。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「きょうで終わりだなと思うと、魚がいつもよりきれいに焼けたような。これでお客に出すのも終わりだと思うとすごく複雑というか、寂しいような虚しいような」

この日、約50年続いた老舗旅館が最後の夜を迎えていた。

(リポート)
「一帯が冠水して一夜明けました。濁流に流された泥が長靴が半分浸かるぐらいまでたまっています」

5年前の2020年7月、県内を襲った豪雨で最上川の水が流れ込み、旅館がある百目木(どめき)地区は30棟以上で浸水被害があった。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「全部持っていかれてる…」

旅館にも扉を突き破って約2メートルの高さまで濁流が押し寄せ、床は重たい泥に覆われた。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「いま来てこうなっているとは夢にも思っていなかった。何倍も想像していた以上」

被害の大きさにぼう然としていた柏倉さん。
温泉を出すためのポンプなども水に浸かったため、自慢の岩風呂も使えなくなった。
旅館は休業に追い込まれたが、修繕工事を行い、3カ月後に営業を再開。
しかし…。

2年後(2022年8月)、再び豪雨が襲った。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「あの2年の努力はなんだったんだろうなと思って。またやり直しか」

国の重要文化財にも指定されている美しい景観を守るため、川沿いにも関わらず堤防がなかった百目木地区。
度重なる水害を受け、住民たちは国が示した堤防の計画案に合意した。

この堤防の建設に伴い、湯元旅館も移転の対象に。
それでも柏倉さんは再び直し、移転ギリギリまで旅館を続けることを選んだ。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「やめようという選択肢もあったが、でもやっぱりお客の励ましのメール・電話をもらうと“もう少し続けてみようかな”という勇気がわいてきた」

豪雨被害から3年。
堤防建設工事の着工に向け住民の移転が進む中で、柏倉さんは2025年12月で旅館を閉める決断をした。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「周りを見てもみな解体になって寂しくなっている。今までだったら灯りがついていて声も聞こえてきたが、今はシーンとしているから一際寂しい。花火大会とかでお客でにぎわっている時が一番の華だったのかな」

最後の夜、宿泊客は大阪や神奈川など遠方からも含め7人。
午後6時を過ぎると、客が食堂にやってきた。

「きょうが最後の食事だから、大サービスしました」
「ありがとうございます」

心のこもった手作りの料理、この日は小鉢2品をサービス。
みなさんおいしそうにほお張っていた。

(新潟から・仕事で約4カ月滞在)
「おいしい。お母さんの手作りの煮物・漬物とかおいしい」

(神奈川から)
「今月いっぱいで終わるとニュースで聞いて来た。3年前の水害があった後に1回来た。最初に来た時に景色がよくて気に入った。一晩ゆっくり思い出に浸りたい」

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「『おいしいね』と食べているのを見ると、良かった。この後はあすの下準備、何を出したら皆さんに喜ばれるのかなと頭の中で考えながら。お客をお見送りしたら寂しくなるのかな」

いよいよ旅館を閉じる日がやってきた。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「きょうは朝4時起きした」

朝食の準備など、柏倉さんは最後まで客のおもてなしに大忙しだった。
そして、最後のお見送り。

「ありがとうございました」
「どうぞお元気で!」

2代目女将として約40年、お客のために走り続けた柏倉さん。
名残惜しそうにしながら、お客の姿が見えなくなるまで、笑顔で見送っていた。

(あてらざわ温泉湯元旅館・柏倉京子女将)
「満足かな、満足でもないけど精一杯おもてなしもできたしうれしい。皆さんから喜ばれてうれしかった。今後は趣味や好きなものにいろいろチャレンジしようと、ぼちぼち考える」

「多くの人の支えでここまで来られた」
感謝に包まれながら旅館の歴史に幕を閉じた。

さくらんぼテレビ
さくらんぼテレビ

山形の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。