シリーズ年末回顧。第6階は、「らい予防法」の撤廃から2026年で30年となるハンセン病問題です。瀬戸内市のハンセン病療養所では2025年、入所者のカルテに、受けたはずの不妊手術の記録が残されていないことなど、新たな事実が分かりました。

”戦後最大の人権侵害”と言われた「旧優生保護法」に対する入所者の思いです。

〇仏壇の前で拝む中尾さん

(長島愛生園入所者自治会 中尾伸治会長)
「毎朝ご飯あげて、お経ちょっとだけ読んで。(Q:奥さんはどんな人だった?)おとなしくて無口な人。怒ったら怖くて・・・」

瀬戸内市のハンセン病療養所、長島愛生園の入所者・中尾伸治さん(91)。70年前、21歳の時に園内で結婚した同い年の妻。遺影に、花を欠かしたことはありません。

(中尾伸治会長)
「青年団で一緒に活動して、その中でだんだんとという感じ。(Q:子供は欲しかった?)うん…かわいい子だったろうなと、勝手に思っている」

障害や遺伝性疾患を理由に、断種や堕胎の手術が強制的に行われた旧優生保護法。ハンセン病も対象でした。2024年、最高裁は、旧優生保護法は違憲と判断。国は2025年1月から、被害者の補償を進めています。

中尾さんは、自分が受けた手術を確認するため、自身のカルテの開示を園に求めました。

(長島愛生園 山本典良園長)
「実はですね、外科の古いカルテが見当たらない」
(中尾伸治会長)
「はあ?」
(長島愛生園 山本典良園長)
「5月24日に手術をしたということなんですが、外科のカルテがないので、この昭和31年5月の記載がない」

中尾さんは、園のルールに従い結婚を報告した後、口頭で手術を了承。1956年5月24日に不妊手術を受けました。しかし、園から開示されたカルテには、手術の記載がありませんでした。

国の補償を受けるには、原則カルテで、手術を受けたことを確認することになっています。中尾さんは、優生手術願いなどの書類によって、補償を受けることができました。

(ハンセン病問題に詳しい 近藤剛弁護士)
「戦後の医師法では、医師は診療した場合は、速やかにそれを記録に残さなければならない。それをしていないということは、いかにもその当時、患者の権利を軽んじていた証拠になる」

さらに、手術を行った医師には県への報告が義務付けられていました。岡山県が把握しているのは、1948年から1996年まで男女合わせて33件です。

しかし、2025年、園長が調べたところ。

(長島愛生園 山本典良園長)
「数自体は126件確認できた。ほぼ全例、男性の手術126件ということが分かった」

確認できただけでも、岡山県全体の件数の4倍近くもあったのです。

(長島愛生園 山本典良園長)
Q:126件より実態は?
「当然多いと思う。結婚の後手術受けた人もいるし、結婚とは関係なく手術を受けた人もおそらくいる」

医師が県に報告しなかった理由は明確には分かりませんが、自身がハンセン病だということが周囲に分かってしまい、偏見・差別につながると恐れた入所者が医師に頼んだのはないかと園長は推測します。

2025年10月、国会は、強制不妊手術の被害実態の解明や再発防止に向けた検証を始めました。

(中尾伸治会長)
「僕は一大事件だからよく覚えているけど。(Q:話すのつらい?)そりゃあ…男ではなくなるんだから・・・でしょ」

(長島愛生園 山本典良園長)
「これは明らかな人権侵害であって、この件に関しては謝罪しかない。申し訳ない」

ハンセン病は感染力の弱い病気にもかかわらず、患者たちは、国の誤った隔離政策によって強制収容され、偏見・差別に苦しみました。

偏見・差別の解消を訴え91歳のいまも語り部を続ける中尾さんですが、自身の手術については、積極的に話をすることはありませんでした。

(中尾伸治会長)
「奄美(鹿児島)では出産を認めていた所もある。奄美から長島に来た人がいる。その人は孫がいて、ちょこちょこ面会に来るのがうらやましかった」

園を訪れる子供たちに中尾さんは目を細めます。

(中尾伸治会長)
「赤ちゃんを連れてきたら皆、俺の孫、ひ孫だと思っている。(Q:本当は手術受けるの嫌でしたか?)そりゃあ嫌だった。ごく普通でありたかった」

長く閉ざされた療養所で何が行われたのか、明らかにしなければならないことが残されています。

岡山放送
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