2024年8月1日午前5時ごろ、仙台・国分町の裏路地で、17歳の男子高校生Aさんが2人の男に暴行を加えられ、倒れた。Aさんはそのまま意識を取り戻すことはなかった。
この記事は後編です。
佐藤蓮被告の被告人質問─「あのとき、自分は…」
11月21日。裁判員裁判の場で、佐藤蓮被告の被告人質問が始まった。
佐藤被告は黒いスーツにノーネクタイ。長い髪を下ろし、視線は常に低い位置にあった。
事件当時の行動や心境について問われると、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。
「Aさんと言い合いになって…多田が入ってきて、止めようと背中を押さえました。
その直後、Aさんが倒れるとき、『ごつっ』という音が聞こえました。」
倒れたAさんに近づいたときのことを聞かれると、佐藤被告は少し息を詰まらせた。
「意識を失っているとは思わなかった。起こそうとして揺さぶったり、殴ったり蹴ったりしてしまいました。混乱していて…どうしたらいいか分からなくなって。」
暴行そのものは認めながらも、Aさんの転倒の瞬間を「見ていない」と繰り返したが、
「亡くなったと聞いたとき、僕が殺してしまったと思いました。」とも語った。
その声には後悔の色がにじんだが、どこまでが真実なのか、輪郭がはっきりしないまま被告人質問は終わった。
意見陳述─遺族が語った“止まった時間”
11月26日。論告求刑の直前、遺族による意見陳述が行われた。
裁判員裁判の法廷に、張り詰めた空気が満ちる。
読み上げられたのは、Aさんの母親と父親が綴った手紙だった。
母親は、息子の最期の姿を目にしたときの衝撃、
そして家族の時間が止まったままである現実を淡々と語った。
「たまたま会った人たちに殺された。そうとしか思えません。
あの日から家族みんなの時間が止まったままです。息子は何も悪くありません。
許すことはできません。」
父親の言葉は、より直接的であった。
「殺してやりたいほど憎い。息子を返せ。
息子は気を失っていたのに、犯人は狸寝入りをしているようだったと言う。ふざけるな。
息子がどんな姿で見つかったか、忘れられるものではない。」
読み上げられる間、傍聴席では鼻をすする音や涙を拭う傍聴人の姿が見られた。
裁判員の表情も強張り、誰もが言葉の重さを受け止めるのに必死だった。
被告2人は、ずっとうつむいたまま、ほとんど動かなかった。
陳述が終わると、法廷にはしばらく言葉が落ちてこない静寂が続いた。
論告─検察が示した「二人の責任の位置づけ」
意見陳述の余韻が残る中、検察官がゆっくりと立ち上がった。
検察官は、証言と医学的所見を踏まえて、Aさんが倒れた経緯と二人の責任について整理した。
• 多田康二被告の殴打がAさんの転倒を招き、致命傷につながった
• 佐藤蓮被告は倒れたAさんに暴行を加え、危険性を高めた
• 二人は互いに制止せず、暴行の状況を黙示的に共有していた
そして、こう述べた。
「被害者は17歳の高校生。将来ある若者の命が奪われ、遺族の痛みは計り知れません。
被告人らの行為は短絡的であり、厳しい非難を免れません。」
求刑は以下の通りだった。
• 多田康二被告:懲役10年
• 佐藤蓮被告 :懲役7年
法廷は、言葉のひとつひとつを慎重に飲み込むように静まり返った。
弁護側の主張
続いて、弁護側が立ち上がった。
多田被告弁護人
• 殴打を否認する被告の主張を繰り返し、「防犯カメラには殴打が映っていない」として、無罪を主張
佐藤被告弁護人
• Aさんへの暴行は認めたものの、その暴行が致命傷になったものではないと主張
• 暴行は単独で行ったもので、共謀はない
• 量刑は意見を述べず、裁判官に委ねる
判決の日

12月3日午後3時。
裁判長が入廷し、裁判員が緊張した面持ちで前を見つめる。
判決の主文が読み上げられた。
「多田康二被告を懲役9年に、佐藤蓮被告を懲役7年に処する。」
多田被告は求刑から1年減刑。
佐藤被告は求刑通りとなった。
裁判長は、次のような判断を述べた。
• 目撃者の証言などから、多田被告の殴打がAさんの転倒を招いたと認定
• 証言と医学所見は整合し、否認供述に信用性はない
• 佐藤被告は倒れたAさんに暴行を加えており責任は重い
• 酒に酔った状態での短絡的な暴行
判決の直後、法廷を包んでいた静けさが破れた。
「多田、お前認めろよ! ふざけるな!」
傍聴席から遺族の怒声が上がり、被告に詰め寄ろうとする動きがあった。
廷吏がすぐに制止し、法廷は一時騒然となった。
下された判決 戻らない命
判決が下されても、Aさんが戻ってくることはない。
裁判員裁判は、多くの証言、資料、遺族の思いに触れながら、
社会としてどのような「答え」を出すべきか模索し続けた。
裁かれたのは、あの夜の暴行と、そこから生じた結果。
だが、なぜあの路地で暴力が生まれたのか、
Aさんが見ていたはずの未来がどこへ消えたのか、その問いに完全な答えはない。
Aさんの家族にとって、裁判は区切りではあっても終わりではない。どれほど丁寧に事実が積み上げられても、喪失が癒えるわけではない。
法廷で語られた声と向き合った裁判員裁判の時間は、この事件が残した重さを示していた。
そして、その重さは今も変わらず、確かにそこにある。
