戦時中、空襲から身を守るために作られた防空壕に関する話題です。
国によりますと2022年度の時点で大分県内には旧日本軍などが作った防空壕を含む地下壕が585か所残されていますが、臼杵市では、防空壕を一般公開し後世に伝える取り組みを行っています。
また、大分市ではユニークな形で防空壕の活用が行われているんです。
太平洋戦争の末期に作られた臼杵市にある防空壕、「屋敷余り特殊地下壕」。
今回、管理を行っている斎藤行雄さんに中を案内してもらいました。
◆防空壕を管理 斎藤行雄さん
「入ってまず、最初の部屋が台所になります。こちらが昔のかまどですね」
防空壕を入るとすぐに、かまどと洗い場があり、空襲で避難してきた際にはここで住民が料理を行っていました。
さらに中へ進んで行くと…
◆防空壕を管理 斎藤行雄さん
「トイレが整備されています」
そのまま外に流せるようになっていて、内部は清潔に保たれていたということです。
防空壕の総延長はおよそ270メートル。中は高低差があり1階に相当する部分には10畳ほどの部屋が7室あるほか、2階部分にはおよそ150人を収容できるホールや12の小部屋があります。
設計から建設まですべて地元の人たちが行っていて民間の防空壕としては国内最大級だということです。
◆TOS梅田雄一郎記者
「こちらの防空壕には電気が通っておらず照明を消すと、辺りは暗闇に包まれます」
防空壕は4年前から一般公開を行っていますが、訪れた人に当時の状況を体験をしてもらうため中に電気は引いていません。
夜間の移動が難しい子供たちは実際にここで寝泊まりをしていた時もあり、現在も、申し込めば宿泊体験ができるようになっています。
◆防空壕を管理 斎藤行雄さん
「(防空壕に)先人の努力や知恵が現れているので、そういったものを改めて来た人には説明していきたい」
一方、大分市には防空壕を意外な形で活用している場所があります。
◆CAVE園田高太郎オーナー
「これが防空壕、利活用のプロジェクト。80年前にできた防空壕でここを利活用して次世代に繋げていこうということで、整備をした洞窟になる」
中には、複数のイスやテーブルが。
実は、ここ防空壕を活用した飲食店なんです。
料理は洞窟の外のキッチンカーで作り本格的なネパール料理を楽しむことができます。
この場所がある山は園田さんが知人から購入したもので、当初は入り口に草が生い茂り、中もゴミだらけだったということです。
そこで、園田さん自らが整備し電球を取り付けるなどして2025年9月に飲食店としてオープンしました。
◆CAVE園田高太郎オーナー
「先人が次の命を守るために作ったものを負の遺産として捉えるのではなく、いかに生かすかを考えたくて。前例もないし、やってる人も誰もいないなら僕がやろうということでやり出した」
防空壕はほかにも近くに2つあり、その中に厨房を作ってさらに本格的な「防空壕レストラン」としたい考えです。
また、災害時の避難所や地域の憩いの場にすることも目指しています。
2025年で戦後80年。戦争遺跡を守っていく。また、形を変えて次世代に繋いでいこうという取り組みが行われています。