ソフトテニスでシングルス学生日本一に輝いた中島茉衣子選手。
大学卒業とともに現役を引退。1年のブランクののち、4月から島根県松江市の実業団チームに所属し、コートに復帰しました。
新天地で目指すのは世界一。
新しい目標に向かう中島選手が描く「ストローク」とは?
強烈なフォアハンドに、力強いバックハンド。
ソフトテニスの実業団チーム・TSK RED EIGHTの中島茉衣子選手。
11月開かれたシングルスの島根県選手権で優勝しました。
大会には、中学生から実業団まで23人が出場。
中島選手は、予選リーグから決勝トーナメントまで6試合を戦い、失ったのは1ゲームだけという圧倒的な強さで、2026年岐阜県で開かれる全国大会への切符を手にしました。
Q.そのネイルのイメージは
これはチーターをイメージしていまして、チーターの様に素早くしなやかに俊敏な動きができるようにとういう意味を込めています。
中島選手が所属するTSK RED EIGHTは2025年4月に設立されたTSKさんいん中央テレビなどグループ8社の実業団チーム。
中島選手はチームにとって初めての、そしてただ1人の選手です。
中島選手は岐阜県出身。3歳の時、ソフトテニスを始め、高校まで続けたあと、名門の日本体育大学に進学。
全日本学生選手権では、団体とシングルスで優勝。学生日本一に輝きました。
しかし…。
TSK RED EIGHT・中島茉衣子選手:
大学で日本一になりたいという目標があったので、そこで夢をかなえて自分の中では選手としては一区切りつけようって思った。
選手としてやり切ったと感じ、地元・岐阜でもう一つの夢だった指導者の道に進みました。
「上半身をひねって体全体で打つ。」
コーチとして教えるなかで、あることに気付いたといいます。
「一生懸命に取り組んでいる生徒たちを見て、私ももう一度、選手として強くなりたい、勝ちたいと思うことができて。新しい目標もできまして、日本一を超える新しい景色を見たい。」
向上心の塊だった子どもたちから刺激を受け、新しい目標を胸に再びコートに立つことを決意しました。
復帰を後押ししたのが同じ大学の先輩、RED EIGHTの吉良洋介監督。
中島選手とともに島根に拠点を移しました。
この日、中島選手がいたのはコートではなく、オフィス。
パソコンに向き合っていました。
TSK RED EIGHT・中島茉衣子選手:
今は総務部にいるんですけど来年度のチーム活動計画、遠征場所だったり試合の動きなどをまとめたり応援してもらえるチームになるためにもグッズの企画だったりもしています。
アスリート社員として、総務部に勤務。
日中は書類作成などの事務作業、チームのマネージメントや広報の仕事も担っています。
Q.今からどちらへ
自宅に戻って練習の準備をして練習会場に向かいます。
勤務を終えると、松江市内のテニスクラブへ。
平日は約2時間、コートで汗を流します。チームのメンバーは吉良監督と中島選手の2人だけ。
ほかのチームの選手を練習に招くほか、時には高校生との合同練習も行います。
TSK RED EIGHT・吉良洋介監督:
あれで前につめていくということは中に打つという力だけにならずに、ワイドにワイドにいけるような面の使い方も意識して。
RED EIGHTには2026年、新しい選手が加わる予定で実業団のトップリーグ・STリーグ1部参入、2030年かみあり国スポの主力選手の育成を目指します。
そんなチームのけん引役になる中島選手にとって新天地の島根県は…。
TSK RED EIGHT・中島茉衣子選手:
家族が転々としているんですけど、集まれるきっかけになることがうれしくて、それは大きな楽しみです。
「ナイスー、ナイス。茉衣子。」
熱烈な声援を送っていたのは姉の侑衣子さん。
岐阜から応援に駆けつけました。
中島選手の姉・侑衣子さん:
彼女が楽しく頑張れていたらいいかなって感じです。私たち家族のいきがいではあるので。
家族の応援も力に換えて見据えるのは…。
TSK RED EIGHT・中島茉衣子選手:
2030年のかみあり国スポで優勝。日本代表になって世界一を取ります。
新天地から放つ世界一への軌道。
中島選手の新たな挑戦が始まりました。