13日に最終日を迎えた大阪・関西万博。

最終日だから言える“万博裏話”を吉村洋文知事に聞きました。

開幕してから184日間で様々ありました。

・4月 空飛ぶクルマ破損で飛行中止
・5月 「ユスリカ」大量発生
・6月 レジオネラ属菌で水上ショー中止
・8月 中央線ストップで帰宅困難者も
・パビリオン建設費未払い問題
・“並ばない”はずが、大行列・入れない

そんな中で、吉村知事は「地下鉄がとまった夜」が一番のピンチだったと語ります。

【大阪府 吉村洋文知事】「僕見てなかったんですけど、でもこれは本当にピンチだなって思いました。時間体もそうですし、間違いなく帰れなくなる人が出てくるなと。雑踏事故は起きてもいけませんし、このとき本当にピンチだなと思いました」

■「これは災害として扱うべきだ」と徹夜で対応

(Q.その時の対応は?)
【大阪府 吉村洋文知事】「これは災害が起きたわけではないんだけれども、もう災害と同じだと。恐らく数万人の方は、必ず帰れなくなるだろうと思ったので、万博の博覧会協会の事務総長という、実務の責任者がいるんですけど、夜遅かったですけど携帯で直接電話しまして、ホットラインホットラインがあるんです。普段はそういうのはしないです。

でもホットラインで電話して、事務総長に『これは災害として扱うべきだ』と。万博の会場の中に入ってもらって、そしてパビリオンを開けれるところ開けて、一夜明かす人が出ることを前提の対応をしようと。

そして緊急物資も災害があったら、お水とかお渡しするんですけど、そういったものもお渡ししていこうじゃないか。ちょっと時間は遅れたんですけど、パビリオンを開けて、夏で暑い夜だったので、本当に災害として対応していかなきゃいけない。

実は僕、警察にも電話したんですよ。

府警本部長に電話して、恐らく夜そこで過ごす人が出てくるとなると、例えば女性だけとか、子連れとか、若い女性の方とか、ひょっとして犯罪が起きても良くないなと。

『警備強化してください』と、安全に一夜を過ごさなきゃいけないことになるだろうというので、府警本部長にも連絡したりとか、色んなとこに来連絡をして、ほぼ徹夜でしたね、この日。

私会場にはいなかったですけど、ほぼ徹夜で対応しました。もちろん本当にこれでご迷惑かけた方に、本当に申し訳ないと思うんです。でも電車だからどうしても止まる時があると。止まったらこういう対応をするということをだったんですけどね。

もうできるだけ早く災害対応しようというので、判断しました」

■一番嬉しかったのは「両親を万博に連れていけたこと」

この期間の中で、一番うれしかったことについては「両親を万博に連れていけたこと」と語りました。

【大阪府 吉村洋文知事】「僕の両親は、もう結構な年なんですけど。僕の兄がちょうど1970年万博の年に生まれたんですよ。その時も今の2025年万博ぐらいかはちょっと分かりませんが、すごく盛り上がってて、万博の、『博』という字が、兄の名前についてるんです。それぐらい万博が好きで、思いがあった。

でも、(地元の)河内長野って大阪でもちょっと南の方で、都心じゃないんですね。僕の生まれ育った所なんですが。なかなか高齢だから外も出にくいという中ですけど、『やっぱり万博に連れていってあげたいな』と思って、万博に連れていてあげたこと。

『楽しい』と言ってくれて、一緒にね。これ公務じゃないですから、ちゃんとチケットも僕も取って、マスクして、帽子して、一般の人として入って、予約してもなかなか取られへんし」

【吉原キャスター】「だってそれは、(吉村知事が)そういうふうに決めたから」

【大阪府 吉村洋文知事】「そう僕が決めたから!取れなかった実際。取れなかった全部外れた。大変でした。でもオーストラリアパビリオンにちょっと並んだら入れて、リングの上から花火を見て、ドローンショーも見て、両親と大屋根リング歩いたり。両親もミャクミャクが好きなので、ミャクミャクショップに一緒に行ったり」

【吉原キャスター】「ご両親はなんと言ってました?」

【大阪府 吉村洋文知事】「いや本当にね、『楽しかった。めちゃめちゃ楽しかった』と言ってくれたのがうれしかったですね。やっぱり僕もこういう立場なので、近いですけど、1年に1回会えるかどうかっていう、必ず僕は、盆、正月帰るようにしているんですけど。僕も万博を作った側なので、やっぱり親にも見てもらいたいなっていう思いもあったし。

両親もなかなかね、取れないんですよチケットが。入場チケットが最初は難しくて分からないから、『どうしたらいい』というところ始まって、これ本当に迷惑かけた人多いんですけど、でもご両親を連れていけて、『この万博楽しかった』と言ってくれた時、僕はうれしかったですね」

■成功の秘訣は?「色んな人の支えがあって成功した」

共同通信社・太田昌克さんからは「“成功”の秘訣は?」と質問がありました。

【太田昌克さん】「ちょっと早いかもしれないけど、要するに大きな事故がなかったということが成功ですよ。私、先週初めて万博へ来て、帰り夢洲駅から弁天町まで行って、JRに乗ろうとしたら、見張りと声掛けのちゃんとしたエスコートをされる警備員の方。これがあるから、雑踏事故も起きずに、皆さん迷われずに無事に帰れたのかなと思って、非常に下支えされてる方が素晴らしいなと思ったんです」

【大阪府 吉村洋文知事】「まさに万博を支えてくれた人、作ってくれた人、目立たないんだけれども安全のために色々やってくれた人、たくさんいらっしゃるんですよ。ボランティアの皆さんもそうです。なので本当にそういった人がいたから、僕は今回の万博は成功したんだと思います。

今日は実は万博の閉幕式だったんですけど、その気持ちを伝えようと思って、最後自分でお礼のあいさつをしたんです。大体、あいさつって官僚の皆さんが作ってくれるんですけども、僕は『いい』と。『自分で作る』と。自分の思いを伝えたいっていうので、ありがとうという気持ちを。

そういった万博を本当に支えてやってくれた人にお伝えをして、僕はこうやってバーッて出て言いますけど、実際はこうやっていろんな支えてくれる人がいて、今回の万博は盛況した、成功したと思う。

海外の皆さんも、なかなか英語が伝わりにくい国なのにここに来て、世界のそれぞれ自分の国の文化とか、技術とかを伝えようというので、多くの人が笑顔で海外の皆さんも来てくれて、パビリオンを展開してくれたっていう、本当に色んな人の支えがあって、今回の万博は成功したなと僕は思います」

■「黒字もうれしいけど、もっと大きな価値があった」

【吉原キャスター】「開幕当初は赤字になるんじゃないかと言われてましたけれども、最大で280億円の黒字の見通しということですけれど、これもうれしい要素の中の1つに入りましたか?」

【大阪府 吉村洋文知事】「はい。これはうれしい要素の1つですね。やっぱりもし赤字だったら、これは失敗だったと思うんです。赤字だったら失敗ですこれは。言われても仕方がないです。大きな黒字が出て、合計で2800万人(総来場者)の方が来てくださって、そして色んな交流が生まれたことが、僕はすごい大事なことだと思うんです。

赤字黒字というよりは、黒字になりましたけど、そこが一番大事なのではなくて、子どもたちがこの万博に来て、『こんなことがあるんだ』と気づいたり、海外の普通じゃない交流があったり、そしてそこから『次の未来をこうやって作っていこうよ』というところが大事だと思ってます。それこそが万博の”意義”で、僕はやってよかったなと思います。

だからお金より、もっと大きな価値がこの万博にはたくさんあったと思ってます」

経済効果だけではなく、様々なものごとや感情が生まれた万博。

閉幕後、万博の”レガシー”によって大阪がどう変わっていくのでしょうか。

(関西テレビ「newsランナー」2025年10月13日放送)

関西テレビ
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