プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
阪神タイガースの「抑えのエース」として1985年の日本一を支え、フォークボールを武器に100勝100セーブ、2度の最優秀救援投手の“レジェンド”山本和行氏。幻となったメジャー挑戦、当時の常識を覆す半年でのアキレス腱(けん)断裂からの復活など、徳光和夫が切り込んだ。
徳光和夫:
「プロ野球レジェン堂」でございますが、今回のゲストは阪神タイガース一筋で、フォークボールを決め球にいたしまして、「抑えのエース」としまして100勝100セーブを達成、最優秀救援投手に輝くこと2度。
1985年の日本一を支えました、山本和行さん(76)をご紹介します。
よろしくどうぞ。

山本和行:
よろしくお願いします。
[山本和行(76):
1971年阪神ドラフト1位。フォークボールを武器に先発・リリーフで活躍。最優秀救援投手2回。1985年阪神リーグ優勝に貢献。同年に100勝100セーブ達成。通算700試合に登板]
徳光:
今OBとしましては、阪神タイガースを見ておりますと、関東の方でご活躍されていらっしゃいます阪神のOBは、あまり「藤川野球」のことを事前にはあまり評価してなかったんでありますけども、なかなかですね。
山本:
やっぱり野球は、どんな野球でもそうですけども、やっぱりピッチャーが握っているという。やはり守りからということだと思いますね。

徳光:
85年のチームにちょっと似てますか?
山本:
とは全然違います。
徳光:
違いますか、やっぱり。

山本:
違います、打つ方で。
「7回で3点差ぐらいだったら勝てる」という、そういうイメージだったんですよね。
徳光:
85年はね。
山本:
打つメンバーが良かったので。
徳光:
確かにそうですね。
山本:
だから終盤6回、7回ぐらいでも負けてても、まだいける。そのうち向こうがあわてるだろうという感じで、やっぱり1試合1試合勝っていくと、そういうのに自信になります。チーム力ですね、それはね。
徳光:
失礼ですけど、野球人になった時から“阪神一筋”みたいなところがあったんですか?
山本:
いや阪神一筋ではないですね。たまたまドラフトで阪神になったという。だから自分の中では、あまり阪神というイメージはなかったんです。
徳光:
そのころはね。そのあたりをちょっと掘り下げさせていただきたいと思うんでございますけど。
憧れは金田正一 生観戦で「プロになる!」伝説
徳光:
少年時代から振り返らせていただきたいと思いますが、ちゃんと野球部とか、そういうようなものあったでしょうか?
山本:
いやもう、広島の江田島に一緒になっているの能美島という島で生まれたんです。
徳光:
能美島でいらっしゃるんですか。

山本:
だからちょうど、呉と広島の間にある島なんですけども、そこで生まれましてね、小学校6年までそこにいたんです。だから田舎の1学年で1クラスしかないような学校で、田舎だったんで、グラブなんとかその道具はない。ただ、ボールとバットはありましたけど、みんなで使い回しながらやってたという。それで楽しんでたというね。
徳光:
テレビの中で野球を見てると、その時にやっぱり長嶋さん・王さんが主役だったんですか?

山本:
そうだったですね。で、月刊誌を親から買ってもらって、その中をよく見てると野球のコーナーがあったんで、元来もともと左利きだったので、やっぱり憧れたのは僕、金田(正一)さんなんですよ。
[金田正一(2019年没86歳):
国鉄(現ヤクルト)入団。通算400勝。4490奪三振はプロ野球史上最多。1958年、新人・長嶋茂雄を4打席4三振。1965年、巨人に移籍]
徳光:
そうですか。
山本:
だからすぐ、国鉄(スワローズ)ファンになりましたね。
徳光:
驚きだね、ちょっと。広島のご出身なので…。

山本:
広島なんですけど、小学校5年生の時に、広島に親戚がいまして、夏休みに広島 - 国鉄戦を見に行ったんです。憧れの金田さんを生で見ましてね。なるほど、ブルペンのところ、3塁側の金網にくっついて見ました。すごいと思って。その時に自分の中で、「絶対プロ野球選手になろう」と思いましたね。
徳光:
中学に入ったら、野球で金田のようなピッチャーになろうと思ったわけですか?

山本:
そうじゃなくて、プロ野球選手になろうと思った。それを親に話したんです。父親がそれをどう受け取ったのか知りませんけれども、職業を変えちゃったんですよね、6年生の時に。今までタンカーとかで物を運ぶ機関士とかみたいなので生活してたんですけど、急に「仕事変える」って言って。何でかというと、僕はその時に「広島商業行きたい」って言ったんですよね。高校野球も盛んだから、テレビの野球。
徳光:
小学校時代に。
徳光:
だから「あ、そうか」って普通になればそうなんですけど、もう真に受けたのかどうか知りませんけど、親の考えですから。環境を整えてあげようと思ったんでしょうね。
徳光:
お父さんが。
山本:
仕事変わったんです。それから今のマツダの東洋工業に、1年間見習いで行ったんです。1年やってようやく本採用になった時に、中学1年の夏に広島市内に引っ越したんです。
徳光:
そこで本格的に野球を?
山本:
そうですね、そこから始まりました。
徳光:
それはピッチャーで?
山本:
ピッチャーとファーストですね、左ですから。入った時はピッチャーはいい選手がいましたんでね、2番手ぐらいで。2年・3年の時でもそうですね。僕たちの中学校は結構強かったです。
徳光:
なんていう中学ですか?

山本:
広島市内の庚午(こうご)町ってあるんですけど、8つか9つのの大会があった時に、7つぐらい優勝するぐらい強かったんです。その中でメンバーでやってましたので。その時に、たまたまある大会の時に、広島商業の監督さんが(大会を)見に来てたんですよ。あとからの話ですけど、「あれがいい」とか言われたんですよ、僕。ファーストとピッチャーと交互にやってましたので、それで運よく広島商業に入れて、そこから本格的にやりましたね。

徳光:
特別待遇でお入りになったのではなくて?受験してちゃんと。
山本:
みんなそうです。
山本:
みんな県立ですからそうですけどね。
広島商時代の最強ライバル 同学年・村田兆治伝説
徳光:
広島商業は県立高校でありますけども、相当厳しい練習で。何かうわさによりますと、刀の刃の上に。

[広島商業高校(県立):
甲子園に夏23回・春23回の出場を誇る高校球界の名門。山本が入学する1965年までに優勝は夏4回・春1回]
山本:
刃渡りは、僕の上の者はあったみたいです。僕の下の優勝した達川(光男)の時には、真剣の刃渡りをやったらしいんですけど。
徳光:
本当だったんですね。
山本:
僕の時もやれって言ったけど、「頼むからそれだけはやらんで」って言って頼んで、なかったんです。広島商業というのはプロ野球選手を育てるところじゃないんですよね。
徳光:
そうですよね、それは。

山本:
入った時に監督さんが一番に言ったのは、「広島商業は甲子園に出るために野球をやっているのと違うよ。指導者になるために広島商業で野球を勉強するんだよ。その中で、うまく選手があった時に甲子園に出るんだよ。でも出るだけじゃダメなんだよ。出るからには全国制覇するんだよ」と。こういう目標の中でやってましたから。
徳光:
ちょっとご覧いただけますか?広島県出身のプロ野球選手を挙げてみたんですけど、下から行きましても、ギータ(柳田悠岐)はソフトバンクのスラッガーでありますし、達川さんはご存知の通りね。三村(敏之)さんは?

[広島商業出身の主なプロ野球選手:
浜崎真二・鶴岡一人・山本一義・大下剛史・三村敏之・山本和行・達川光男・柳田悠岐]
山本:
三村さんは一緒にやったんです。1学年先輩ですから。一緒に甲子園出ましたね。

徳光:
なるほどね。あの名監督であります、鶴岡(一人)さんもそうですよね。
2年生夏の甲子園は三村さんと一緒に出て。
山本:
はい。でも1回戦(負け)ですよ。
徳光:
どこと対戦したか覚えてますか?
山本:
覚えてます。桐生高校。群馬の桐生高校。そこの有名な監督、稲川(東一郎)さんという監督さんがスイッチバッターを作ったんですね。スイッチヒッターをたくさん何人か作った、そのチームだったんです。

[第48回全国高校野球選手権大会(1966年):
広島商は1回戦で稲川東一郎監督率いる桐生(群馬)と対戦。1 - 3で敗退した]
徳光:
そうですか。3年生になって甲子園は出てらっしゃらないんですよね?
山本:
出てないんです。その年の選抜に尾道商業が出ましてね、大田垣という全日本の社会人の監督をやった大田垣耕造。

[大田垣耕造(75):
尾道商出身。社会人・東芝の監督として黄金時代を築く。シドニーオリンピックでは野球日本代表を務めた]
徳光:
大田垣さん。

山本:
彼がいまして。あともう1人、もう亡くなったんですけど、村田兆治が一緒ですから。福山電波工業。
[村田兆治(2022年没72歳):
1967年東京(現ロッテ)ドラフト1位。福山電波工(当時)出身。独特の「マサカリ投法」で215勝。1982年右ひじを故障、腱移植手術を経て復活。最優秀防御率3回]
徳光:
福山電波工業。投げ合いになったわけですか?
山本:
いや対戦してなかったです。
徳光:
そうではないんですか。

山本:
だから練習をやっている時に、いずれもしかしたら当たるだろう、だから頭の中には村田兆治のピッチングとか頭にあるから、練習をもう終わろうかと終われないんですよね、自分の中で。あいつらもっと走っているから、でもあいつまだこれだけ投げているかな、じゃあもっと投げて練習しようというのが夏の時までの思いで、ずっと練習してましたね。

山本:
もうだから、前年のメンバーが5人ぐらいそろってましたし、ずっと強かったんですけど、(広島県大会)決勝で途中まで1 - 0で勝ってたんですよ。練習でもエラーしたことない内野手がトンネルしちゃったんですよね。それで同点になっちゃった。9回にまたスクイズもやられて負けたんですよね(3年生の夏は広島県大会決勝で広陵に1 - 3で敗退)。そういう思いが、高校野球の時はそうだったですね。(その秋の)ドラフトの時に指名がなかったわけですから、それで落ち込みましたね、がっくり。甲子園は行けないわ、ドラフトされないわってね。
徳光:
なるほど。
“伝家の宝刀”フォークボール 投げる直前に「握り変え」伝説
山本:
これから進学するんだけど、大学どうするんだっていう時に、慶応(大学)に行きたいと思ったんです。
徳光:
そうですか。

山本:
オープン戦で、早稲田と早慶戦が広島のところでやったのを見に行ったんです。試合やってる時に、野球のやり方を見てると、「慶応の方がいい」と思って、「慶応に行きたい」という、学校の監督さんと指導で話をしたんですよね。そうすると、やっぱり家庭の事情でね、「いやそれよりかお前は高校2年生の時から、ずっと追っかけてる(大学の)監督さんがおるんだ」と。「そこに行ったらいろいろ援助もしてくれるし、家庭にも負担かけないで済むから。また新しい大学を有名にしたらどうだ」っていうんで、亜細亜大学に決まったんです。
徳光:
そうですか。
山本:
ちょうど亜細亜大学が有名になろうと思って、選手をいっぱい集めた。僕が入ったころ、1年生100人ぐらいいましたからね。一応、第1寮入れたんですけど、第2寮、第3寮ぐらいいましたけども。終わって4年生で卒業する時には20人もいなかったですからね。
徳光:
1年生のころっていうのは、4年生の当番したりとか。4年生、3年生、2年生、1年生で。
山本:
部屋に4年生、3年生、2年生もいました。3年生2人いたり。5人ぐらいで12畳ぐらいの部屋に寝泊まりしてましたからね。だから先輩の布団の上げ下ろし、掃除、洗濯物、すべてですよね。それを全部やると。それは寮のしきたりですから、今までの先輩・後輩のアレですから、それは頑張ってやりましたけれども。

徳光:
そういった環境から抜けるには、なんと言ってもエースにならなきゃいけない。2年生ですでにエースになるじゃないですか。
山本:
そうですね。その2年生のころに、初めて変化球のフォークボールを覚えたんです。
徳光:
その時ですか。
山本:
1年間、僕の高校時代は真っすぐと、いわゆるトロンとしたカーブしか投げてないわけですから。たまたまやってると、フォークボールっていうのはこういうことかなと思いながらやってるうちに、遊びでやってるうちにだんだん覚えたんです。そこからです。カーブなんか投げるんなら、追い込んだらすぐフォークボール。
徳光:
なるほど、指も長いですね、今こうやって拝見しますと。
山本:
長いんですけども、手はでかいんです。
徳光:
手もでかいですね。
山本:
でもよくね、フォークボールは手が小さいから投げられないというか、そんなことない。手が小さくてもフォークボール投げられます。それをいろいろこう、握りとかやるのは、しょっちゅう部屋で暇なときにやってましたね。
徳光:
握りを見せていただいてよろしいですか?
山本:
普通はみんなこう握っちゃうんですよね。こう握るから手首が固くなるんです。僕はここなんです。
徳光:
浅いんですか?

山本:
浅いんですよ。ここが空いてるんですよ、ここだけで十分なんです。これやると手首に力入らないから手首が振れるんですよ。
徳光:
手首が。

山本:
指の間が開いたら、真っすぐだと思うんです、フォークボールっていうのは。指にかかった真っすぐなんです。指にかからない真っすぐなんです。投げ方は一緒なんですよ。で、始めたのが、ここから真っすぐの握りから、投げるときにポッと(フォークボールの握りに)こうなるように、こういう練習をしたんです。
徳光:
今なんか手品みたいな。そんなできるもんじゃないでしょ?
山本:
いやいやできます。
徳光:
このグラブ持って…、すみません。すごいな。

山本:
一瞬ですよね。こうやって、ある程度のこれぐらい持ってですね。こうやってて、こうやる間に抜いちゃう。だからバッターから見ると見えないんですよね。こうやってる間に抜けちゃう。
徳光:
グラブの中ではストレートの握りですね。

山本:
で、下りている間に、ここで指でこうやってるんです。
徳光:
どうやってそこを変えられるんですか?
山本:
この握る力の練習はこうやってて、こういう練習をすごくしました。
徳光:
そうでしょうね。それでボールを抜くんですか。

山本:
いやこれ開いた。で、真っすぐと同じように投げてて、こうやってるんですよ。真っすぐはこうやるんですけど、フォークボールはこうやってだけです。だから真っすぐの投げ方方でいいんです。握りが違うだけです。カーブのように、こんなことしなくていいんです。
徳光:
なるほど、そういうことですね。
山本:
だからコントロールがつくんです。
【中編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年9月16日放送より)
「プロ野球レジェン堂」
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