一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。

今回の舞台は大阪・日本橋からスタートです。

【兵動大樹さん】「道頓堀、遊覧船が来てますね。ええやないすか。川から大阪を見るという風情もある。みんな俺を撮ってるかと思ったら、遊覧船撮ってたわ」

今回兵動さんに渡されたのは、1954年(昭和29年)に大阪市で撮影された写真です。

写真には、「大和屋技藝学校」「生徒募集」と書かれた看板が。着物を着た女性も写っています。

【兵動大樹さん】「なんやこれ?こういうところもあったのか、という写真」

写真の場所を見つけることができるのでしょうか?

■「大和屋技藝学校」とは

写真には「大和屋技藝学校」と書かれた看板と、着物を着た女性が写っていました。

【兵動大樹さん】「技藝ってなんや?花嫁修業昔あったんですよ。そういうことなんかな?」

手がかりを求めて街を歩く兵動さん。

大阪・ミナミの中心「宗右衛門町」の通りには着物のお店があり、レンタルして街歩きができるそうです。

着物繋がりということで聞いてみると…

【店員】「普段着用の着物ですね。お料理学校?」

さらに宗右衛門町で創業された老舗の和菓子店「福壽堂秀信」に立ち寄ると、店員さんから興味深い情報が!

【店員さん】「前が大和屋さんっていう高級料亭が」

クリームとあんこを挟んだ「生どら」を美味しそうに堪能した兵動さんは、店員さんから「大和屋」について詳しく教えてもらいます。

当時、宗右衛門町では一番格式が高い料亭として知られ、そこに行くことが一種のステイタスだったとのこと。

■老舗料亭「うにしゃぶ」に兵動さん感動

宗右衛門町に料亭「南地 大和屋」というがあったとのこと。

【兵動大樹さん】「大和屋という名前が一緒すぎて」

【福壽堂秀信 広報スタッフ】「当時から知っている方が、明陽軒というところ」

さらに歩くと、日本料理「明陽軒」に到着。

1928年創業のこのお店は「うにしゃぶ」が名物。オープン前ですが、特別にうにしゃぶをいただけることになりました!

【明陽軒・店長 服部さん】「沸騰すると『うに湯葉』ができるんです」

金目鯛をうに出汁にサッとつけていただきます。

【兵動大樹さん】「うにが圧倒的に味が強いんやけど、金目鯛の本来のうま味がでる」

なんと、うにしゃぶには「うに」も用意されています。

【兵動大樹さん】「うにをうにのプールで遊ばせる。うまっ!うにのうま味の層が違う。めちゃくちゃおいしい」

■宗右衛門町の品位と文化を守っていた「大和屋」

店長の服部さんから、写真の「大和屋」について重要な情報が明かされました。

【明陽軒・店長 服部さん】「宗右衛門町では大和屋は超有名な料亭。大和屋があったから、宗右衛門町は品が高い状態で保たれたんです。ひれ伏すぐらいすごい料理屋さんであり、文化があったところなんです」

「大和屋」は、品位のある料亭でありながら、芸妓を育成するための学校でもあったということも分かりました。

南地大和屋は1877年頃に置屋として開業し、その後、芸妓の養成学校と料理部を開業。

全盛期にはおよそ300人の芸妓が所属する、大阪ミナミの文化の中心だったんです。

しかし、2003年に休業。

現在は、大阪梅田に「大和屋さんげん」として、伝統を引き継ぎながら格式のある料亭として営業しています。

■ミナミに現存する「花街文化」

さらに島之内にあるお茶屋「たに川」を訪ねると、そこではいまも芸妓さんが活動していることが判明しました。

【兵動大樹さん】「大阪にもお茶屋さんは結構あるんですか?」

【たに川 谷川恵さん】「昔はよくあったんですが、いまはミナミでうちだけになりました」

かつての南(ミナミ)には5つの花街(宗右衛門町、九郎右衛門町、櫓町、坂町、難波新地)があり、お茶屋が500〜600軒、芸妓さんは2000人もいたといいます。


■ミナミの芸鼓は2000人から4人に

お仕事前の芸鼓さんに来ていただけました。

【兵動大樹さん】「芸鼓さんは大阪では何人いらっしゃいますか?」

【芸鼓・千鶴さん】「『立ち方』と言って白塗りをして踊る芸妓は4人です」

【兵動大樹さん】「楽しいですか?」

【芸鼓・千鶴さん】「楽しおますね。海外の方はすごく多おます。踊りもしますし、お話もします」

大阪にいまも残る貴重な文化を体感したところで写真について聞いてみます。

【兵動大樹さん】「この学校は何を教えてくれてたんですかね?」

【たに川 谷川恵さん】「踊り、長唄、三味線です」

芸鼓の技術を磨くには、それぞれのお茶屋さんで学ぶことが一般的な中、「大和屋」は斬新にも学校を作り、たくさんの芸鼓さんを育成するために「団体稽古」を取り入れました。

■時代と共に変わりゆく宗右衛門町

最後に明陽軒の店長から連絡があり、写真が撮影された正確な場所がわかりました。

いまは建物はありませんが、宗右衛門町の一角で写真を撮影しました。

【兵動大樹さん】「いまは時代と共に変わってきましたけど、昔からで言うと歴史のある、品と格のある大阪の中心地の場所だったということがよく分かりました。うにしゃぶまた食べに行きます」

かつて大阪ミナミの文化の中心として栄えた南地大和屋。

その写真から始まった今回の旅は、消えゆきつつも守り続けられている伝統と文化を再発見する旅となりました。

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2025年9月19日放送)

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