「被爆80年プロジェクトつたえる・つなげる」
≪ 平和を誓う手形 ♯33 被爆体験証言者・梶矢文昭さん ≫
被爆者の梶矢文昭さん(86)は、6歳のとき爆心地から1.8キロの大須賀町で被爆。
当時国民学校・分散授業所で朝の掃除をしていた。
【被爆者の梶矢文昭さん(86)】
「雑巾がけをしてましたがね、で突然ピカーですからね。それからドーンでいっぺんに家が崩れかかってきまして」
同じ場所で一緒に被爆した姉 文子さんは柱の下敷きになり亡くなる。
戦後教師となり小学校で子供たちに平和の尊さを伝える。
【被爆者の梶矢文昭さん(86)】
「突然ピカ―だ。その次にドーンだ」
現在は被爆体験証言者として、あの日を伝えている。
梶矢さんが手形のハトに込めて次世代に伝えたい思いとは?
【被爆者の梶矢文昭さん(86)】
『三たび許すまじ原爆を』
「今、核兵器は、核廃絶と言う中で、世界で実際は増えています。でも、絶対に使われること、使わせることがあってはならない。原爆 核兵器を使ったらどういうふうな状況になるかというのを、我々は体験をもって知っているところであります。
今の核兵器の力は、広島型のさらに何倍、あるいは何百倍と言われています。
さらに残留放射能が広がります。残ります。人類が危ない。
この平和、この社会を維持して行く、守っていくというのはわれわれ大人、成人の務め。
広島と長崎で終わりにしなくちゃいけない。
そのことを広く、広く人の心に、あるいは世界に伝えていきたいという思いを強く持っています。
『三たび許すまじ原爆を』
「つたえるつなげるヒロシマナガサキ」