片手だけで演奏するピアノ、「ワンハンドピアノ」というジャンルがあります。
仙台市出身の若きワンハンドピアニスト早坂眞子さんは、左手だけで豊かな音楽を紡ぎ出します。

左手だけを使い、美しい音色を奏でる早坂眞子さん。
仙台市で生まれ育ち、現在はワンハンドのピアニストとして関東や東北を中心にコンサートなどで演奏を披露しています。
早坂さんは、3才からピアノを始め、プロの演奏家を目指し東京音楽大学付属高校に進学。
母親とともに上京し、本格的に勉強を始めましたが…

早坂眞子さん
「前みたいに動かなくなっちゃって、何度も練習するけれどうまく指が回らない感覚があって。」

高校2年秋頃に、突然感じたという指の違和感。
病院を受診すると、「局所性ジストニア」と診断されました。
手や足など体の一部が突然こわばったり、震えたりする脳神経の疾患です。
食事やパソコンなど日常生活に影響はありませんが、ピアニストとして右手は使えなくなりました。

早坂眞子さん
「ピアニストになるとか自分がどうしてこの学校に来たのかとか。あまり考えられなくて今の自分の状況を把握するので精一杯…。」

その時早坂さんの背中を押したのが、同じ病を患いながらも「左手のピアニスト」として活躍し東京音楽大学で指導をしていた智内威雄さんでした。
早坂さんの当時の担当教諭が引き合わせてくれたのです。

(同じ病を患う早坂さんを見てどう思った?)
早坂眞子さん
「まだ高校生だったので、どういう風に精神状態を保っていくのかまず気になりました。」
智内威雄さん
「僕自身が左手のピアノ音楽に救われたので、それを教えてあげたいというのと、一人じゃないということも教えてあげたかった。」

実は、ワンハンドピアノには長い歴史があります。
こちらは、ワンハンドピアノ用に作られた楽譜です。
もともとは、300年ほど前、利き手ではない、左手の練習用に作られました。
両手で弾く楽譜と比べると音符の数がかなり少なくなっています。
練習用ではなく演奏用として広まったのは、第一次世界大戦がきっかけでした。

智内威雄さん
「ピアニストたちが戦争で右腕を失って生まれていった分野。職業軍人ではなく一般市民が巻き込まれていったということ。戦争にどうやって音楽と立ち向かっていくか真剣に考えていた時期があったので、そこでたくさん曲が生まれている。」

早坂さんは、診断以降「左手での演奏」に特化し、智内さんの指導を受けながら東京音楽大学に進学。
今年は、ワンハンドピアノの国際コンクールで2位を受賞しました。
この春、東京音楽大学大学院を修了し、現在は左手のピアニストとして活動しています。

智内威雄さん
「早坂さんは繊細な表現が得意で基本的な技術がしっかりしている。繊細さって音が少ないことによって強調されることがある。彼女はすごく左手のピアノに合っていると思う。」
早坂眞子さん
「(左手のピアノは)改めて自分で音楽をする楽しさを思い出させてくれた存在みたいな感じ」

病気によって、一時期はピアニストになるという夢を考えられなくなってしまった早坂さん。
ワンハンドピアノとの出会いは、一緒に上京し早坂さんを支える母・千賀さんも大きなものと感じています。

早坂千賀さん
「(ワンハンドピアノと)出会う前よりも生き生きしているというのは今もですが思っています。最初目指していたものとは違う形になってしまったけれどピアニストになれたことは本当に運が良かったと思っています。」

そして、早坂さんは今、自分を支えてくれたワンハンドピアノの魅力を広めようと智内さんと一緒に活動をしています。
今週末、仙台で開かれる「ワンハンドピアノフェスタ」というイベントには、主催者側の一員として関わります。
みんなでワンハンドピアノを弾いたり聞いたりして楽しむもので、東北では初めての開催です。

早坂眞子さん
「もともと東京と大阪で10回以上続いている大会で私自身東京大会を中心に4・5回出させていただいた。私自身はフェスタに出て本当に変わったと感じていて皆さんに勇気をもらっている。仲間がほしいとかどういう風に勉強したらいいかわからない方が集いやすい場所になればと思う。」

智内威雄さん
「彼女も左手でやり始めた時って、まだ心閉ざしているところがあったけれど、フェスタでどんどん解きほぐされたところがある。その彼女が主催に入って楽しみを分け与えるというか、どんなことができるのか、どんな会になるのかすごく楽しみです。」

片手だけで奏でるワンハンドピアノ。
そこには、両手の演奏とはまた違った奥深い世界が広がっています。

仙台放送
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