9月21日から全国一斉に「秋の交通安全運動」が始まりました。昭和100年の今、視聴者から寄せられた昭和30年代とみられる「白バイ隊員」の写真から、その時代の隊員から受け継がれる思いとともに、交通安全の歴史を振り返ります。
◆福井県警初の白バイ隊員
福井テレビの「newsイット!」では、昭和100年シリーズを特集で放送しています。その懐かしい映像を見て、福井テレビに連絡をくれた男性がいます。
坂井市丸岡町の高村清和さん(64)です。自宅を訪ねると、警察官だった父親の清次さんの写真を見せてくれました。制服を着て白バイにまたがっています。
高村さんの父・清次さんは大正14年生まれ、生きていれば100歳です。清次さんは実は、福井県警初の白バイ隊員だったといいます。
他にも高村さんが見せてくれたのは、裁判所前の交差点の写真。信号機はまだなく、手信号です。県庁のお堀の前を音楽隊がパレードする「交通安全運動」と思われる場面や、交通事故とみられる写真も。
高村さんは父・清治さんから「安全運転しろ」とよく言われていたといいます。「とにかく事故を起こすな。人に迷惑かけるな」と。
◆東京五輪の聖火ランナーを先導
県警察史によると、福井県内に初めて白バイが配備されたのは昭和24年(1949年)で、わずか3台でした。
かつて県庁の西側にあった福井警察署の前で白バイ6台が整列している写真にも清次さんが白バイに乗って中央に写っています。
警察史には「白バイ隊が発足したのは昭和34年(1959年)。隊長以下15名・白バイ6台でスタート」と記されていて、発足間もない白バイ隊を写した可能性がある、貴重な写真のようです。
越前町にある機動警察隊を訪ね、高村さんが所有する写真を現役の白バイ隊員に見てもらいました。「おー!すごい」身を乗り出すようにして写真に見入ります。警察官も見たことがない写真のようです。
昭和39年(1964年)、東京オリンピックの聖火を先導する写真には、そば畑の農道を白バイが走り、その後ろを聖火を持ったランナーが走る様子が写し出されています。
憧れていた白バイ隊員になったという県警機動警察隊の嶋田翼巡査部長(36)は「装備がいまとは全然違いますね。乗車服じゃなくて制服で白バイに乗っている」と今との違いを口にします。
「昔は交通環境とか道路環境も整っていなかったと思う」としながらも「取り締りがメインで活動していたのだと思います」と現在の白バイ隊員の活動と重ねます。
◆昭和30年代、車が急増し交通戦争に
福井テレビには昭和33年(1958年)のニュース映像が残されています。
ナレーション:
「車、車、車。自動車ラッシュ。県下の自動車・オートバイはうなぎ上りに増え、1万3000台ということですが、また交通事故も日に日に増えています。目を覆いたくなる惨状も…」
昭和30年(1955年)に8000台余りだった福井県内の自動車の数は、高度経済成長に合わせて急増。昭和40年代後半までに20倍以上に増加した時代です。
これに伴って交通事故も急増し「交通戦争」と呼ばれ社会問題に。昭和46年(1971年)には、県内で最も多い175人が犠牲になりました。
◆現隊員に受け継がれる思い
嶋田巡査部長は「白バイの先輩隊員の方々は“交通戦争”の最前線に立って、まさに命がけで交通安全を守ってきたと思う。その人たちの努力を忘れずに、今後も交通事故の抑止活動を推進していきたい」と力を込めます。
今回、写真を見せてくれた高村さんは「少しでも事故がないように…今回の放送を機に、少しでも減ってくれれば」との思いを語ってくれました。
受け継がれる“思い”-
いつの時代も変わらない交通安全の大切さを、写真は伝えているのです。
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