戦後80年が経ち、戦争を知らない世代が多くを占めるなか、その記憶をどうつないでいくかが課題となっています。

今回から2回に分けてお伝えするのは、父親の戦争の体験を受け継ぎ、語り継いでいる2人の2世の語り部です。

初回は富山大空襲の記憶を3世代でつなぐ家族の継承の取り組みを見つめます。

今月15日。

戦後80年、節目の終戦の日。

富山市内で開かれた戦没者追悼式に、ある女性の姿がありました。

富山大空襲を語り継ぐ会の西田亜希代さんです。

90歳の父親と高校生の娘とともに、親子3世代の語り部として活動しています。

*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「私たちが家族の経験を引き継ぐという活動を始めたばかりだが、他の方々の体験や遺族が過ごした80年の記憶を同じように継承していかなければいけないと感じている」

今年5月、亜希代さんの父、進さんは、富山市内の中学校に語り部として招かれました。

2001年に語り部を始めた進さん、これまでに行った講演は280回を超えます。

「これから富山大空襲の講演会を始めます」

進さんが静かに語るのは、あの夜の出来事です。

*佐藤進さん
「周りに無数の焼夷弾が落ちてきた。直撃は受けなかったが、焼け死んでいても仕方ないところだった」

1945年8月2日未明の富山大空襲。

アメリカ軍によって、およそ2時間のうちに50万発を超える焼い弾が投下され、市街地は一面焼け野原に。

2700人以上が犠牲となり、人口比としては地方都市で最大の被害を受けました。

進さんは当時10歳。

降り注ぐ焼い弾の中を4歳年上の兄とともに川へ飛び込み、助かりました。

90歳を迎え入退院を繰り返す進さん。

亜希代さんは、進さんを側でサポートしながら、3年前から語り部の活動を始めています。

*富山大空襲を語り継ぐ会幹事 西田亜希代さん
「調べたいなとか思ったところをメモしている。まだまだ知識が父のようには足りないので」

6月、亜希代さんは、富山と同じ夜に空襲を受けた都市のひとつ、新潟県長岡市にいました。

市が主催する空襲の追悼の集いに、親子3世代で招かれました。

戦後80年がたち、戦争体験者が減る中、その記憶をどう継承するかが課題となっています。

亜希代さんが進さんの体験を引き継ごうと思ったのは3年前に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけでした。

惨状を繰り返さないよう、記憶を語り継ぎ、まずは戦争について知ってもらうことが大事だと考えています。

*西田亜希代さん
「がれきの中をひとり泣きながら歩く少年の姿を見たときに、たまらない気持ちになって、まるで父が体験した富山の空襲と重なるように見えてしまって、また戦争が起こっているということに、声をあげなければいけないと感じた」

*西田七虹さん
「体験した方が亡くなられている状況でその事実を語る人も少なくなっている。継承する人も少なくなっている。自分の都市でどんなことがあったのか調べてみたり、体験した人や聞いたことがあるよという人がいれば聞いてほしい。何かしたいなと思ったら、どんな形でもいいので、とりあえずやってみるところから始めてほしい。」

自分たち家族にできたように、戦争の記憶は世代を超えて伝えられる。

3人はそう確信しています。

*佐藤進さん
「これで継いでくれる人ができた、伝承者ができたなと安心している。よくここまで話ができるようになった」

*西田亜希代さん
「父が2001年から積み上げてきた語り部の活動を3年で成し遂げたとは絶対に言えない。父が伝えたいと思っていること本質的なことをもっと勉強しなくてはいけない。私たち二世だからこそ掴める感覚でお伝えしていきたい」

戦争体験者の声をどう繋いでいくか、戦後80年、私たち戦争を知らない世代の姿勢が問われています。

次回は、亡き父の被爆体験を語り継ぐ、県内唯一の被爆2世の語り部の思いをお伝えします。

富山テレビ
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