2025年は、戦後80年の節目の年です。ライブニュースあきたでは、シリーズで戦争の記憶を語り継ぐ取り組みや当時を生きた人の思いをお伝えしています。最終回は、戦後まもなくアメリカ軍の爆撃機B29が秋田県男鹿市の本山に墜落した事故についてです。6月に秋田市の探検家が機体の一部を新たに発見しました。部品が物語る歴史の1ページ。未来に伝える必要がありそうです。

男鹿市にある標高715メートルの山「本山」です。9合目にある慰霊碑の前で手を合わせるのは、秋田市出身の探検家・高橋大輔さん(58)です。80年前の夏、悲劇として語り継がれる事故が起きました。

終戦から2週間後の1945年8月28日、秋田県大館市の捕虜の収容所に救援物資を運ぶために飛行していたアメリカ軍の爆撃機B29が霧で視界を失い、男鹿市の本山に墜落しました。事故の後、機体の大半は回収されましたが、6年前、知人から本山でB29の機体らしいものを見つけたと話が舞い込み、以来高橋さんは、戦争の記憶を後世に伝えたいと調査を続けてきました。

そして2025年6月、本山中腹の斜面でB29の着陸装置の一部を発見したのです。今回取材班が機体の一部が見つかった現場まで同行しました。

道なき道を進むこと約1時間。すると高橋さんは「これです」と指さしました。B29の機体の一部です。「これは、20センチ×15センチくらいの大きさだが、銀色をした金属の破片なんです」と話す高橋さん。B29の機体の一部とみられるものが、木の根元で見つかりました。

捕虜収容所に向かう途中で墜落したB29。乗組員12人のうち11人が死亡しましたが、唯一生き残ったアメリカ兵がいました。ノーマン・マーチンさんです。

当時19歳だったマーチンさんは、本山の麓、男鹿市の加茂青砂の住民に救助されました。45年後の1990年、マーチンさんは妻とともに住民に感謝の思いを伝えようと加茂青砂を訪れました。

「2週間前まで敵だった日本人に殺されるのではないか」と考えていたというマーチンさん。一緒に男鹿市に来た妻・ヘレンさんは「ありがとう」と涙を流していました。マーチンさんも「招待してくれた皆さんにお会いできてとてもうれしいです。私が会いたかった人たちに会えてよかった」と涙を浮かべていました。

マーチンさんは自衛隊のヘリコプターに乗り、B29が墜落した現場を見て回り、亡くなった11人を追悼しました。

本山で着陸装置が見つかった場所に向かう途中、秋田市の探検家・高橋大輔さんは「ここがB29が墜落した現場です。墜落後、かなり大きい範囲で火災が発生したみたいなんです。ですから、この辺一体が昔は本当に焼け野原になって、木がやはり細いですよね。80年たってようやく成長していますけれど、こういった開けた場所というのは機体がざっと木を倒して進んでいった現場です」と当時の状況を思い浮かべながら話しました。

そして出発から1時間半後、B29の着陸装置が姿を現しました。着陸装置は全長184センチで、高橋さんがこれまでに見つけた部品の中で最も大きなものです。

高橋さんは、最初に発見した時の心境を問われると「びっくりしました。この大きさといい、この山奥の一番深いところに眠るようにあったというのはすごいインパクトがあった。B29が墜落したのはここだけではないし、各地で墜落してはいろんなパーツが見つかっていますが、80年を経て、日本の内陸でこれほど大きいものがあるのはまず例がないのではないか」と話しました。

高橋さんは6月に発見後、アメリカ・ルイジアナ州にある国立第二次世界大戦博物館と航空博物館に確認を依頼したところ、発見したのはB29の3本ある車軸のうち、機体の中ほどにある主軸の1つであることが分かりました。

高橋さんは「B29の墜落によってマーチンさん1人が助かって、日米の戦争が終わった平和を象徴するような機体。人の記憶が薄らいでいく中で、80年でぎりぎり戦争のことを覚えている人に会えるかなという瀬戸際だと思う。そういうタイミングでB29の機体の一部が見つかったのは、未来につながる話だと思う。モノが持っている一つのメッセージというか、そこから物語る歴史というのは記憶がなくなった後、これが一つの歴史の証人として未来に対して強いメッセージを発するものだと思います」と力強く語りました。

80年の時を経てようやく発見されたB29の着陸装置。埋もれていた歴史の輪郭が、さらに鮮明になってきました。

(※高橋大輔さんの「高」は「はしご高」)

秋田テレビ
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