終戦から80年。戦争体験者が減り続ける中、宮崎県の日南・串間地区で活動する「平和をつなぐ会」が、体験者の声を聞き取り、平和の尊さを伝えようと活動している。夏休みの子どもたちへの紙芝居での語り継ぎ、高齢者からの聞き取りなど、その活動は多岐にわたっている。
夏休みの子どもたちに空襲体験を語り継ぐ

「平和をつなぐ会」は、教職員OBを中心に日南市と串間市で活動している。夏休みの児童クラブでは、空襲の体験談を紙芝居で子どもたちに伝えている。この日は紙芝居での語り継ぎだ。「遠く油津の方角からバリバリバリッと機銃掃射の音が聞こえてきました。そしてドドドーンという爆弾の音が何発も聞こえ地響きとして伝わってきました」と、当時の様子を生々しく伝える。

中武和子さん(66)は「これからのこども達へ平和の種まきをするという事を目的にいろいろと活動をしている」と話す。同会は、学校や集会などで県南地区の戦争遺跡の説明や戦争体験談を紙芝居などで伝えている。
平和学習を受けた子どもからは「日南も戦争があったんだなって思いました。戦争がない世界になって欲しいです」などの声が聞かれた。

若い社会人にも平和の大切さを訴える

同会は子どもたちだけでなく、若い社会人にも戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えている。油津港には人間魚雷“回天”の基地があったと伝えられている。

“回天”とは、乗ったまま敵の船に突進して船を沈める潜水艇である。

20代の社会人は「戦争を経験されている方が少なくなってきている。今後もいなくなってしまうという部分で私たちが戦争をしてはいけないっていう気持ちを大事にしないといけないと思った。」と感想を述べた。
高齢者から生の声を聞き取り記録

戦争を経験した人たちが減りゆく中、同会は少しでも多くの戦争体験者の生の声を記録し伝えていくために、高齢者が集う場所で聞き取りも行っている。

体験者からは「防空壕に入って飛行機(戦闘機)のすぐ上を通る影が防空壕の中に映るんです。それが怖くて妹が泣き出して他の人が『泣かせないで。泣き声が戦闘機に聞こえる』と言われて、もうほんと怖かった事を忘れません」という声や、

「私は鵜戸地区の富土という所にいたんですが(当時4歳)、伊比井(いびい)地区から私の家の隣にお嫁に来た人のお母さんが爆撃されて機銃掃射で亡くなられたという話があります」などの話を聞くことができた。
ほかにも、「今の山形屋(油津)の前辺りに住んでいたんです。疎開する時にはリヤカーにお米とかカボチャ、里芋そんなのを乗せて兄弟6人と夕日を見ながらリヤカーを押して行ったんです。その時の夕日というのがものすごくきれいで、赤くて、今朝も見たんですけど、この朝日が疎開する時の夕日に匹敵するのかなあと思いながら考えて朝日を拝みました。今朝『平和になったらほんとによかったなあ』って思って、ずっと続くような平和だったらいいなと思います」といった体験談が寄せられた。

中武さんは「たくさんのお話を伺って、それを収集して、記録をして、そして次の世代につなげていく、それが私たちにとっての役目だと思っています」と話した。
平和のバトンをつなぐ
「平和をつなぐ会」は、「こどもたちを再び戦場には送らせない」という信念のもと活動を続けている。黒木教一代表(72)は「体験を覚えている年代の方々がまだいらっしゃいますから、その方々の声をいかに生で聞いていくか、それをどうつないでいくか、これからの私たちの大きな課題だと思います」と述べた。

中武さんは「世界で今とても心配な状況が起こっています。これをどうにかできるというのはもう私たちの世代ではなく、次の世代の人たちだと思っています。平和の大事さというのをいろんなところで伝えながら、新しい世の中を担っていく人たちが平和の大切さというのをみんなで伝えあいながら平和を守っていくということを動いてくれればなと思っているところです」と今後の展望を語った。

「平和をつなぐ会」は以前「平和を語り継ぐ会」として活動していたが、平和を広げるという願いを込めて今年度から名称を変更した。多くの世代に平和の尊さが広がり、争いの無い世界が来るまで平和をつなぎ続ける。
(テレビ宮崎)