「聖地」に響いた静かな警鐘

羽生結弦、荒川静香。世界の頂点に立った2人を育てた「フィギュアスケートの聖地」宮城が、近年まで、競技力衰退の危機に直面していた。

完成したゼビオアリーナ仙台の氷に祈りを込める羽生(2025年7月)夢のリンクができるまで長い道のりがあった
完成したゼビオアリーナ仙台の氷に祈りを込める羽生(2025年7月)夢のリンクができるまで長い道のりがあった
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きっかけは、たった一つのリンクにかかる負担の限界だった。仙台市泉区にある民間運営の「アイスリンク仙台」は、前身のリンクが経営難で閉鎖された後、官民の力で復活を遂げ、長年にわたり県内唯一の通年型スケートリンクとして、幼い選手からトップスケーターまでを受け入れてきた。

だが2023年夏。冷凍機の老朽化と光熱費高騰のダブルパンチにより、リンクは3カ月間にわたって一般営業を停止する異常事態に陥った。営業を続けた貸切利用も、氷の融解を防ぐため早朝に練習を終え、昼の間はシートで覆い、夜に再び凍らせるという綱渡りの運営が続いた。

羽生が幼少期から通う「アイスリンク仙台」2007年閉鎖から奇跡の復活を遂げるも継続には課題が
羽生が幼少期から通う「アイスリンク仙台」2007年閉鎖から奇跡の復活を遂げるも継続には課題が

羽生結弦が支えた「原点」

その年の7月、羽生結弦はリンク運営会社に対し5,588万円の寄付を発表。過去の寄付とあわせた総額は8,733万円にのぼった。

このリンクは、羽生がスケートをはじめ、荒川静香の背中を追いかけ、東日本大震災後も練習を続けた「原点」である。だからこそ、羽生は言葉少なに、しかし確かな行動でその存在を守ろうとした。

アイスリンク仙台で演技を披露する羽生 リンクは羽生の寄付で成り立っていると言っても過言でなかった
アイスリンク仙台で演技を披露する羽生 リンクは羽生の寄付で成り立っていると言っても過言でなかった

一方で、構造的な問題も浮き彫りになった。宮城県には、通年型のスケートリンクがこの1カ所しかない。競技団体の利用が集中することで、練習時間は早朝や深夜に偏り、貸切料金も高額。他県との格差が選手育成を難しくしていた。

実際、2023年の四大陸選手権で銅メダルを獲得した千葉百音選手は、広いリンクでの練習を求めて拠点を宮城から京都へ移した。

フィギュア発祥の地であるはずの仙台が、才能の「通過点」となり始めていたのだ。

お互いを慕う千葉百音と羽生結弦 アイスリンク仙台で技を磨いたが成長とともにより広い練習場が必要に
お互いを慕う千葉百音と羽生結弦 アイスリンク仙台で技を磨いたが成長とともにより広い練習場が必要に

行政の壁と 動かなかった年月

宮城県スケート連盟は長年、宮城県や仙台市に公営リンクの整備を要望してきた。しかし返答は一貫して慎重だった。

かつて2007年、閉鎖したリンク再開にあたり、県と仙台市がそれぞれ5,000万円を拠出した経緯がある。「再び多額の公費を投じることに、県民の理解が得られるかは不透明」というのが行政側の立場であった。

それでも、訴え続ける声があった。「このままでは人が育たない」。
かつてリンク再開のために1万7000人分の署名が集まったこの地には、“あきらめない記憶”があった。

2025年7月にリニューアルしたゼビオアリーナ仙台 公営リンクの設置はスケート関係者たちの長年の願いだった
2025年7月にリニューアルしたゼビオアリーナ仙台 公営リンクの設置はスケート関係者たちの長年の願いだった

新たな光 官民連携という突破口

閉塞感を打破する一手が、2023年11月に発表された。仙台市とゼビオホールディングスが連携し、ゼビオアリーナ仙台(太白区)を大規模改修。通年型スケートリンクとして生まれ変わらせるというものである。

リンクは国際規格(縦30メートル×横60メートル)に対応し、フィギュアの国際大会やアイスショーの開催も見据える。また、断熱床を活用した可変式構造により、バスケットボールやコンサートも可能な多目的施設だ。

整備にあたっては「負担付き寄付」という仕組みを採用。施設改修を担うゼビオHDが完成後に市へ寄付し、運営権を一定期間受託する。その対価として、市は年間最大約3億5,000万円の指定管理料を支払う。20年間の試算ではおよそ70億円だが、公共施設を一から建てるよりも大幅な財政負担の軽減が見込まれる。

国際規格を満たした通年リンク プロバスケットボールチーム仙台89ERSの本拠地としても利用される
国際規格を満たした通年リンク プロバスケットボールチーム仙台89ERSの本拠地としても利用される

羽生が託した“次の世代”への祈り

発表当日。羽生結弦は協定締結式に寄せたビデオメッセージで、静かにこう語った。

「新たなスケートリンクの実現に向けた大きな一歩が踏み出されたものと、一人のスケーターとして、とてもうれしく思います」
「仙台は日本のフィギュア発祥の地と称され、これまでも多くのフィギュアスケーターが育ってきましたが、練習環境はとても厳しい状況にあります」
「このたびの取り組みが実現することで、自分と同じように、この街でフィギュアをやりたいと思う次の世代が、一人でも多く生まれることを期待しています」
「数多くの新たな才能がこの街に集い、成長していく。フィギュアスケートの新たな魅力を発信していく。そのような取り組みができればと自分も思います」
「新たなきっかけをつくっていただいたゼビオHDと仙台市に感謝するとともに、一日でも早く実現するよう、多くの市民の皆さまにご理解とご協力をお願いしたいと思います」

羽生は誰よりも「この街で夢を見ること」の難しさを知っている。だからこそ、その困難を超える「きっかけ」を、自らの手でつくろうとした。

仙台市役所であった市とゼビオHDの基本協定締結式にビデオメッセージを寄せた羽生
仙台市役所であった市とゼビオHDの基本協定締結式にビデオメッセージを寄せた羽生

「夢を叶える場所」再生へ

羽生が幼いころに見上げたのは、荒川静香の背中だった。そして、羽生の演技に憧れた子供たちがまた次の扉を叩く。

かつて羽生結弦が小学生だったころ、テレビのインタビューでこう答えた。

「オリンピック、優勝」

その言葉はやがて現実となり、今度は誰かの目標になった。

「聖地」仙台に、もう一つの夢舞台が生まれた。その氷の上で、今度はまた誰かが、夢を語るだろう。

仙台放送の取材に答える当時11歳の羽生(2006年)
仙台放送の取材に答える当時11歳の羽生(2006年)
仙台放送
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