映像では伝えきれなかった“あの日の全て”を

あの日、仙台のアリーナに張られたばかりの氷の上で、羽生結弦は静かに祈っていた。
この演技を、ただのパフォーマンスで終わらせたくなかった。
高倍率の抽選を突破して訪れた観客、抽選に漏れた全国・世界のファン、そして、これからスケートを始めるかもしれない誰かの心に、確かに残るものとして届けたかった。
だが、このショーの映像はテレビではわずか1分しか放送されていない。報じきれなかった多くの瞬間が、リンクの上で確かに存在していた。
だから今、文字でそのすべてを伝えたい。羽生が“始まりの氷”に託したものを。
リンクに立つその瞬間まで 届けたい一心で滑った『春よ、来い』

2025年7月5日、仙台市太白区にある「ゼビオアリーナ仙台」が、通年型のスケートリンクとして新たなスタートを切った。これまでプロバスケットボールや音楽イベントで使われてきた会場が、国際大会も開催できる本格的な60m×30mリンクへと生まれ変わったのだ。
この歴史的な“開館の日”を祝うこけら落としのショー「The First Skate」に、仙台が生んだ世界王者・羽生結弦が出演した。

ショーの冒頭、アイスリンク仙台の若手スケーターたちが群舞で舞台を彩り、オペラ「トゥーランドット」のアリア『Nessun Dorma』が鳴り響くと、本田武史、鈴木明子、本郷理華ら、仙台に縁のあるトップスケーターが次々に登場。最後に羽生が姿を現した瞬間、会場の空気が一変した。
揺れるライト、鳴り止まぬ歓声。リンクにすっと立つその姿だけで、観客の呼吸が止まったようだった。

その日の羽生のソロプログラムは『春よ、来い』。清塚信也のピアノアレンジに乗せて、彼は一つ一つの動きに祈りを込めるように滑った。

イナバウアーの軌跡が氷を切り裂くと、観客からため息がもれる。何度も見たはずの演技なのに、なぜか目が離せない。照明の中で光を受ける氷、静まり返った空間、まるで一人ひとりの心の奥底を照らすような演技だった。
羽生結弦さん:
始まりということが一つのテーマでもあるので、自分にとっては“春”というイメージでこの曲を選びました。見たことがきっかけで、何かが始まったり、一歩踏み出すことができたら…そんな思いを込めて滑りました

拍手も忘れるほどの余韻がリンクを包んだ。拍手のタイミングさえ見失ってしまうほどに、心が奪われた数分間だった。
揺れるアリーナ 『Let Me Entertain You』が解き放った熱

アンコールの拍手は、やがてうねりのような熱気となり、羽生を再びリンクに呼び戻した。

彼が演じたのは『Let Me Entertain You』。コロナ禍で不安と孤独が渦巻く2020年に、「少しでも楽しい気持ちを」と生まれたプログラムだ。

抑えていた感情が一気に解き放たれるようなパフォーマンスだった。両腕を突き上げ、ステップを刻みながらリンクを疾走する羽生。観客の歓声もそれに呼応するように爆発する。熱狂、陶酔、祝祭―まさにそんな言葉がふさわしかった。
フィギュアスケートの競技では見られない“ライブ”の一面がそこにはあった。観客と演者が完全に同じ熱量でつながる、奇跡のような瞬間だった。
共に滑った後輩たちへ 羽生が託した“未来”と“原点”

このショーには、羽生がかつて憧れた先輩たち、そして彼が今見守る後輩たちがともに出演した。
羽生結弦さん:
みんなで何かを作り上げるという楽しさを、地元の方々に届けられてよかった
羽生の原点は、アイスリンク仙台にある。だが、そのリンクもかつて閉鎖の憂き目に遭った。練習場所を失い、カナダへの移籍を決めた高校2年の冬。羽生にとって「地元にリンクがあること」は、願い続けた理想だった。
羽生結弦さん:
好きな仲間、好きな先生と、好きな場所でずっと滑り続けられたら。僕にも、そう思った時期がありました
プロ転向後、羽生は地元のリンクに多額の寄付を行い、テレビでも「仙台にリンクをつくってください」と呼びかけた。そしてその思いが、今回ようやく形となった。
囲み取材では、後輩スケーターと共演した心境をこう語っている。

羽生結弦さん:
僕自身も、先輩方と滑ることで大きな刺激を受けてきた。今日滑った子たちにも、僕らの中から何かを感じ取ってくれたらうれしい。『絶対あいつらより上手くなる!』って思ってくれてもいい(笑)
“リンク”がつなぐ記憶と希望。羽生の視線の先には、いつも次の世代がいる。
そして、テレビには映らなかった本当の物語

この歴史的なショーは、本来ならばテレビでも長尺の特集で伝えるはずだった。
だが現実は、わずか60秒間の映像使用にとどまった。その背景には、報道の現場でも戸惑いがあった。
取材当日、すべての撮影が終わった直後に主催者である仙台市から「映像の使用は60秒以内」と突然の通達があったのだ。理由は「後日予定している有料配信に影響を与える可能性がある」とのことだった。
事前の案内や打ち合わせでは、こうした制限は一切なかった。公共性の高い事業であり、羽生が地元で後進と共演する意義ある舞台であっただけに、仙台放送は仙台市に再考を求めた。だが、制限が覆ることはなかった。
仙台市は「取材対応に不慣れだった」と謝罪したものの、放送は制限内にとどめざるを得なかった。
【補章】なぜ今、文字で届けるのか 報道とファンへの責任

だからこそ、今こうして文字で届けたい。
あのリンクの上にあった情熱も、躍動も、笑顔も、言葉も、決して“1分”では語りきれない。
羽生が「ありがとうございました!」と叫んだフィナーレ、目を潤ませて拍手を送り続けた観客、初めてアイスショーを見た地元の親子、台湾から駆けつけたファン。
そのすべてが、「始まりの氷」に物語を刻んでいた。

テレビには映らなかった“本当の物語”を、今こうして読んでくれたあなたに届けたい。
リンクは完成した。物語は、まだ始まったばかりである。
仙台放送
ショー終演後のインタビュー全文は下部リンクから