2025年の夏は、戦後80年という節目の年。平和への祈りが高まる中、宮崎市のみやざきアートセンターで、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに関する貴重な企画展『マッカーサーと現代日本の夜明け』が開催されている。約4万通もの国民からの手紙や、これまで日本では公開されてこなかった写真など、膨大な資料を通して、日本の民主主義の礎を築いたマッカーサーの功績と、その背景にある国民の思いを深く知ることができる。
約4万通の手紙が語る国民の思い

1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えた。その後、連合国軍最高司令官として日本に駐留したダグラス・マッカーサーは、四大財閥の解体や女性参政権の導入など、経済、政治、社会の面で民主化を進めた。

マッカーサーは、日本国憲法の草案作成にも携わり、象徴天皇制、戦争放棄、非民主的制度廃止など、日本が二度と戦争の道を歩まないための条項を盛り込んだ。

企画展では、マッカーサーのもとに寄せられた約4万通もの手紙が公開されている。これらの手紙には、国民からの要望や意見、感謝の気持ちなどが綴られており、当時の日本国民の生の声が伝わってくる。

オカファー エニス 豪アナウンサー:
手紙を読んでみると、「きょうは雨降りです。お友達と学校へ行くところです。雨合羽を着ているのがさなえです。」といった記述があり、憲法を作るにあたって日本国民の声を広く聞いていたというのがわかる。
マッカーサー像を多角的に探る

マッカーサー記念館公文書専門官のジェームス・ゾベル氏は、マッカーサーについて「彼は軍人として育てられ、人生全てを軍人として過ごした。とても賢く、陸軍士官学校をトップの成績で卒業した人物だった。様々な人種、宗教、国の人々への理解もあった」と説明する。
また、ゾベル氏は「アメリカと連合国が来て日本に民主化を強制していれば、それは長くは続かなかっただろう。マッカーサーは民主化には日本人の主体性が必要であることを知っていた」と、マッカーサーの民主化へのアプローチを強調した。

企画展では、マッカーサーが夫人と映る写真や

トレードマークのコーンパイプなど、彼の人となりを知れる資料も多数展示されている。

来場者からは、「小学校3年だったため玉音放送などはあまり記憶にないが、マッカーサーが飛行場に降りたあの姿は凄く印象に残っている」「私も(同じ)クリスチャンで、日本を民主的に統治したんだと感じた」といった声が聞かれた。
姉妹都市提携が縁で企画展が実現

実はこの企画展は、マッカーサー記念館の所在地アメリカ・バージニア州にあるバージニアビーチ市と宮崎市の32年にわたる姉妹都市関係がきっかけで実現した。

宮崎市バージニア市姉妹都市協会の石田達也会長は、「天孫降臨の地・宮崎と、最初に清教徒が流れ着いて建国の第一歩になったバージニア。お互いの国が始まった地域から平和について考えるのもすごく意義深い機会」と話している。

ゾベル氏も、「これは過去に起こったことではあるが、今につながることでもある。なぜなら、日本人が今享受している民主主義について理解するためには、その原点を知る必要があるからだ。宮崎市が伝えたかったのはそういうことだと思う。私たちも力になれればとても嬉しい」と、企画展への想いを語った。
戦後80年、民主主義の原点を見つめる機会
戦後80年の節目に開催される『マッカーサーと現代日本の夜明け』は、貴重な写真や資料を通して、日本の民主主義の原点に触れることができる貴重な機会だ。この企画展は8月17日まで宮崎市のみやざきアートセンターで開催される。入場料は一般600円、中高生300円、小学生以下無料。
(テレビ宮崎)