2025年は「戦後80年」を迎える年。UMKテレビ宮崎は「過去を知る・未来に伝える」をテーマに戦争についての企画を放送している。アメリカ軍は終戦当時のカラー映像を数多く所持していているが、その映像はどんなカメラで撮影されていたのだろうか。その技術から、当時の日本とアメリカの国力の差が歴然としていることがわかる。郷土戦史研究家に話を聞いた。

2025年3月22日、大分県で郷土史の研究を行う市民団体「豊の国宇佐市塾」が、アメリカ国立公文書館から取り寄せた戦時中の映像を公開した。この中には、宮崎県新富町の旧陸軍新田原飛行場(現在の航空自衛隊新田原基地)が空襲を受ける様子を収めたカラー映像も含まれていた。

沖縄を囲む米軍と、日本の特攻隊

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郷土戦史研究家 稲田哲也さん:
1945年4月1日から始まった沖縄戦。アメリカ海軍の船が沖縄を取り囲んだ。その船が連日、新田原飛行場など、九州から飛んでくる日本軍の飛行機や特攻も含めた通常攻撃によって大損害を受けた。

旧陸軍新田原飛行場がアメリカ海軍によって空襲を受けたのは、それから1ヶ月あまりたった5月14日。公開された映像には、駐機された航空機へ放たれるロケット弾や機銃掃射による攻撃が映されていた。

郷土戦史研究家の稲田哲也さんは、新田原飛行場が狙われた理由を「沖縄戦が激化する中、新田原飛行場が日本軍の主要な攻撃基地の1つだったため」と話す。

アメリカ製「ガンカメラ」と「グラマン社F6Fヘルキャット」

80年前の映像は、どうやって撮影されたものなのか。当時、アメリカ軍は、敵艦を撃沈できたか、敵機を撃墜できたかなど、戦果を正確に把握するために、戦闘機にガンカメラを搭載していたという。稲田さんは、当時、撮影していたものと同じ型のアメリカ製のガンカメラを見せてくれた。

郷土戦史研究家 稲田哲也さん:
ひとむかし前のハンディカムくらいの大きさ。これが80年前にあって、この大きさでカラーで動画が撮れる。

また、稲田さんによると、当時の映像を撮影した戦闘機の種類は、グラマン社が作った「F6Fヘルキャット」。スピードが出て、小回りが効くのが特徴だ。

郷土戦史研究家 稲田哲也さん:
1〜2回、ロケット弾を発射したあとに、降下しながら機関銃を撃って、地面に近くなった時に機体をぐーっと引き上げて逃げていく。

一方、当時の日本軍の戦果確認の方法は「目視」。稲田さんは、このカラー映像1つをとっても、当時の日米の国力の差を痛感させられると話す。

郷土戦史研究家 稲田哲也さん:
1機種あたり1〜3万機の戦闘機を作る。アメリカは工業力が強いから。それらすべてにこのカメラがついている。ガンカメラ映像を見るにつけて、映像の中身だけではなく、アメリカの国力を強く感じる。80年前の、まごうことなき地元の映像が見られるというのは歴史的価値が高い。

終戦から80年。戦争を語る事ができる経験者が少なくなっている今、80年前の空襲を記録したカラー映像は、宮崎も戦場だった事を、現実味をもって伝える事ができる貴重な資料だ。

(テレビ宮崎)

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