2025年は「戦後80年」を迎える年。UMKテレビ宮崎は「過去を知る・未来に伝える」をテーマに戦争についての企画を放送している。太平洋戦争末期、宮崎から沖縄県に派兵され、終戦を知らずに2年間、木の上で生活した日本兵がいた。実話を元にした映画『木の上の軍隊』が2025年夏に公開。モデルとなった宮崎県小林市出身の日本兵・山口静雄さんの子孫が、沖縄の映画ロケ地を訪問。山口さんが命をつないだ「ガジュマルの木」の元を訪れた。

2025年夏公開の映画『木の上の軍隊』

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「沖縄県伊江島で終戦を知らず2年、木の上で生きた軍隊がいた」

俳優の堤真一さんと山田裕貴さんがダブル主演を務める映画『木の上の軍隊』。太平洋戦争末期、沖縄県・伊江島に派兵され、終戦を知らずに2年間、木の上で隠れて暮らし続けた日本兵2人の実話を基にした物語となっている。

堤真一さんが演じる「山下一雄」は、当時、宮崎から伊江島に派兵された日本兵小林市出身の山口静雄さんがモデルだ。

「とんちのいい親父やった。」こう話すのは、山口静雄さんの次男・山口輝人さん。伊江島に派兵された父の無事を願いながら、7歳の時、終戦を迎えた。

山口静雄さんの次男・輝人さん:
父の帰りを待っているだけ。死んでいるということは考えていなかった。うちの小屋の屋根をちょうど修理しているときに帰ってきた。みんなたまがった(びっくりした)。

輝人さんは、父・静雄さんが語った戦争体験を紙に綴っていた。

山口静雄さんの次男・輝人さん:
米軍の海からの艦砲射撃で島が数日で占領された。太もも、これは銃弾が貫通して木の上から落ちたと…。数週間すると、銃弾が貫通した傷から膿が出始めた。それを小さな木の枝を折って、木の枝の先に衣類を少し切って、それを丸めて貫通した傷口に通していた。

静雄さんの子孫が「ガジュマルの木」の元へ

山口静雄さんの実体験をもとに映画化された『木の上の軍隊』。2024年11月、次男の輝人さんなど静雄さんの子や孫が映画の撮影が行われていた沖縄県伊江島を訪れた。

伊江島は、沖縄本島の北部にある本部港からフェリーでおよそ30分。南国情緒あふれるこの場所では当時、「沖縄戦の縮図」と言われるほどの激しい戦いが行われ、日本兵およそ2000人、島民の半数に上るおよそ1500人が犠牲となった。

島に着いた輝人さんたちは、当時、山口静雄さんが生活していた「ガジュマル」の木の元へ向かった。

山口静雄さんの次男・輝人さん:
お父さん、お父さんが乗っていた木のところに再び来ることができました。これも多くの方々にお世話になり、自分の足もこんな風になりましたけれども、多くの方に支えていただいてこうしてお礼に参りました。2年間の木の上での生活、お疲れ様でした。

静雄さんの三女で、戦後に生まれた平春子さんは…

山口静雄さんの三女・平春子さん:
父がガジュマルの木からつないでくれた命、ここで2人が出会って頑張ってくれなかったらなかった命だと、子供たちや孫などにずっと広がっていかなかった。

ここでは、映画のもう1人の主演、山田裕貴さんが演じる男性のモデルとなった沖縄出身の日本兵・佐次田秀順さんの次男と長女にも初めて会うことができた。

佐次田秀順さんの次男・満さん:
沖縄というのは台風が多い。話の中では台風もあったと。でも乾かすことができない。濡れてもジーッと木の上に座って体温で乾かすしかなかったと。夜は食べ物を探したり、今、考えてもなかなかそういう生活というのは、想像がつかない。

およそ80年の時を経て、壮絶な戦争を生き抜いた2人の日本兵の実話が映画になる。

山下一雄役・堤真一さん:
戦争が終わって2年間も木の上で暮らしていた人を知らなかった。そうやって生き延びた人がいたことすら知らなかった。

山口静雄さんの次男・輝人さん:
今の子供たちには戦争というものが薄れてきていますけれども、今後はこういう映画を通じて素晴らしい世界、平和な世界になることを願っている。

木の上での2年間。今ある私たちの「命」はこうして、誰かが必死に守りつなげてきた命なのかもしれない。映画『木の上の軍隊』は、2025年6月に沖縄県で先行公開され、7月25日から全国の映画館で上映される。

(テレビ宮崎)

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