死者・行方不明者49人という甚大な被害をもたらした8・6豪雨災害からまもなく32年です。
そんな中、流れ込んだ土砂によって9人の入院患者が犠牲となった旧花倉病院の取り壊しが始まっています。
遺族の1人は災害の悲惨さを伝える建物がなくなることにさみしさを口にしました。
池田政昭記者
「8・6豪雨災害からまもなく32年、被害の象徴であった旧花倉病院の取り壊し工事が進んでします」
鹿児島市吉野町の旧花倉病院です。
建物は工事用のシートに覆われ、現在の姿を見ることはできませんが、シートの裏からは時折、コンクリートを壊すような大きな音が響きます。
1993年8月6日、鹿児島市を中心に降り続いた猛烈な雨によって各地で土砂崩れが発生。
死者・行方不明者は49人にも上った8・6豪雨災害。
当時、竜ヶ水地区と花倉地区でも大規模な土石流が発生し、花倉病院では入院していた9人が流れ込んできた大量の土砂の下敷きになり犠牲となりました。
その後、花倉病院は移転し、跡地の建物は被災当時のまま残されていましたが、6月、国道10号線鹿児島北バイパスの工事のため、取り壊しが始まりました。
当時、花倉病院に入院していた父親の鶴田勇さんを亡くした田中美代子さんです。
田中さんは災害の悲惨さを伝える建物が無くなることにさみしさを感じると話します。
父・鶴田勇さんを亡くす 田中美代子さん
「父親がこうして亡くなったことが30年以上たっても、旧花倉病院に行くと思い出す。ちょっと寂しい思いがする。もう受け入れざるを得ないというか、時代の流れですから、いつかは無くなるのだろうと話していた」
田中さんは弟とともに毎年行ってきた現地での慰霊は、今後も続けていくということです。
鹿児島国道事務所によりますと、建物の取り壊し後、跡地は鹿児島北バイパスのトンネルの出入口となる予定です。