天皇皇后両陛下のモンゴルご訪問。(2025年7月6日~13日)戦後80年のタイミングで行われた今回の訪問で、両陛下は終戦直後モンゴルに連行され現地で亡くなった約1700人の抑留者の慰霊碑に献花し、拝礼されます。シベリア抑留と比較して、モンゴル抑留の詳細については日本や現地モンゴルでもあまり知られていない現実があります。
モンゴル人男性が残し続ける日本人抑留者の記録
モンゴルに連行された日本兵や抑留された日本人が労働に従事させられた様子を記録した貴重な映像や写真。(モンゴル国立中央公文書館より)

そのモンゴルに抑留された日本人について、日本や抑留者と何の縁もないモンゴル人男性が私財を投入して調査し、記録を残し続けています。

男性はウルジートグトフさん(48)。日本兵らのモンゴル抑留について紹介する「さくら資料館」の館長です。

ウルジートグトフさんはモンゴルと日本の国交50周年の2022年に「さくら資料館」を開設しました。モンゴル式のテント「ゲル」の中には日本人抑留者について自ら調査した内容や写真史料、強制労働で使われた建設資材などが展示されています。
モンゴル当局の資料では、第二次世界大戦後約12000人の日本兵や民間人がモンゴルに連行され、首都ウランバートルなどで労働に従事させられました。今も残る政府庁舎やスフバートル広場、外務省、モンゴル国立大学など主要な建物の建設に抑留者が関わっていました。そして約1700人が帰国を果たせないまま現地で亡くなりました。


ウルジートグトフさん:
首都ウランバートルで今も使われているスフバートル広場や外務省などを日本人が建てたと社会主義時代に育った高齢の人々は知っていますが、ほとんどのモンゴル人は知らないです。
日本を訪問し抑留経験者と直接の交流も
ウルジートグトフさんは2024年11月、日本を訪問し抑留経験者から直接話を聞くなど交流を続けています。

ウルジートグトフさん:
富山では元抑留者で107歳の山田秀三さんを訪ねました。ウランバートル中心部のスフバートル広場で基礎工事に従事させられたと聞きました。冬は地面がカチカチに凍っていたため、鉄の棒で地面を砕く作業がとてもきつかったと話していました。
山田さんは足腰が悪く、立ち上がるとき起こすのを手伝いました。その時身体を触ったら暖かさを感じ、良い気分になりました。そして山田さんが私と同じ人間で、私の祖父のように思いました
日本や抑留者に全く縁もゆかりもないウルジートグトフさん。
抑留者の記録を残そうと資料館を開設したきっかけについて次のように語っています。

ウルジートグトフさん:
韓国での出稼ぎから帰国し、住もうと決めたこの土地で日本人抑留者が石切作業をしていたと知ったからです。日本人抑留者はウランバートルに大事なものを建ててくれました。一方で、亡くなった約1700人を黙って見過ごすことはできませんでした。ここの下にある池が2010年当時ゴミ捨て場のようになっていて自分で清掃し、整備しました。そして、モンゴルと日本の国交樹立50周年の2022年に開設しました。韓国で稼いだ資金の半分を使いました。


ウルジートグトフさんは1945年から2年間、日本人が石切作業をさせられていた場所を市民がボート遊びやスケートができる公園に変えました。いまでは公園の入場料などがウルジートグトフさんの主な収入源です。
ウルジートグトフさんは16歳か17歳の頃から戦争に反対し、平和への思いを強く持っていたと話します。そして戦後80年のいまもウクライナやガザ地区で戦争が続く現状をみてこう語ります。
「今も80年前の第二次世界大戦の時も若い人たちを戦わせ、血を流させていて、これは悲惨なことです。いま、平和はありません」
「モンゴル抑留者が重要な建設作業をしていたことを、日本とモンゴルの国民にわかるよう届けたいと思います」

こう語るウルジートグトフさんの眼には、平和への強い信念と日本人抑留の記録を後生に残そうとする強い意志が感じられました。