2025年に100歳を迎えた犬飼由貴子さんに8月に会った。戦後80年の節目、戦時中の熊本で女性たちがどんな生活をしていたのか、いわゆる『銃後の暮らし』について話を聞いた。
「世の中が踊りどころではない雰囲気に」
犬飼由貴子さんは上益城郡益城町に暮らす、大正14年・1925年生まれで、2025年に100歳を迎えた。「1カ月に2回、お稽古。40人くらいに」と話し、今も教室を持ち、教えている現役の華道家だ。

由貴子さんは現在の熊本市中央区呉服町の商家に生まれた。昭和初めの時代、自宅にはピアノがあった。5歳のときに始めた踊りは、地元で評判に。しかし、戦争が日々の生活に影を落とし始める。

由貴子さんは「続けたかったけど、世の中が踊りどころではないみたいな雰囲気になったもんですからね」と話し、当時は踊りや音楽、娯楽は制限され、食べる物もなかった。

由貴子さんは「買い出しっていうのがあって、分けてもらいに行くんですよ」と、子どものころ、母親と一緒に『買い出し』に行った思い出を話してくれた。

由貴子さんは「母親が風呂敷に包んで。みんなご近所もそうだったですよ。食べるもんがないからね、分けていただかないと」と、かつて『菊池電車』と呼ばれた熊本電鉄沿線、現在の合志市などの農家へ出向き、持って行った着物を小麦粉など食べ物に替えてもらったという。

由貴子さんは「まともなご飯食べられないから、例えばお茶碗1杯のご飯を3人ぐらいで雑炊にして食べるわけですよ。お金持ちも貧乏も、みんなそうなんだからね。我慢して食べていましたよ」と、わずかな米は家族で分け合い、小麦粉は製粉する過程で出てくる皮の部分まで、水で練って蒸して食べたそう。
「弾がバラバラ、音がすごかった」
慶徳尋常小学校を卒業した由貴子さんは、県立第一高等女学校、現在の県立第一高校に入学た。由貴子さんは「昭和15年、16年ごろから英語の科目が消えました。アルファベットも使えないような、使っちゃいけないような時期がありました」と話す。

授業は減り、生徒たちは市内の軍需工場へ行くことになった。由貴子さんは「軍服のボタン付けとかそういうこと。とにかくひたすらボタン付けでした。何時間もやってたんじゃないかな。授業ないんだから」と当時を振り返る。

第一高女を卒業した由貴子さんは、当時の住友銀行熊本支店に入行。戦時下で、職場は男性が少なかったという。その建物は今も中央区魚屋町に残されている。

旧銀行の1階フロアは、現在はイベントスペースとして貸し出されている。とても広い空間で、銀行を思わせる雰囲気がそのまま残っている。

由貴子さんたち行員は、空襲警報が鳴る中も仕事を続け、「敵機が来てるときブーッと1回鳴るのが警戒警報なんです。それでまた飛行機が来るのかなと思っていると、今度は立て続けにサイレンが鳴る。それはもう敵機が上に来てる。バンバン落とされるとき。何べんも鳴りましたよ」と話した。

「弾がバラバラ、バラバラ、銀行のシャッターに音がすごかった」と話し、「じっとしてましたけど、銀行には地下がありましたから、全員地下に入って、地下で帳面を付けましたよ」と当時を振り返る。空襲にも耐えた銀行の建物は地下もそのままの状態で保存されている。
孫が祖母から聞き 取りまとめた半生
表紙に『犬飼由貴子とともに振り返る日本』と書かれた紙。これは2024年に孫の松浦由佳さんがまとめたもの。由佳さんは「おばあちゃんが頑張って生きてきた時代を共有したいと思った」と話し、由佳さんが、由貴子さんに直接聞き取りをして綴った。

終戦後、由貴子さんは3人の子どもを育て上げ、今では孫が5人、ひ孫が9人に。20代後半で出合った活け花の世界で由貴子さんの人生は大きく開花した。その活躍は全国的に知られるまでになり、2010年には熊本県芸術功労者に、また去年には常陸宮妃華子さまから褒章杯を受けた。

由佳さんは「『いつでもいいや』はダメですね、今なんですね。『思ったときに習わなきゃいけない』『思ったときにしなければいけない』と思いました。1日何回にも分けて、(由貴子さんが)嫌にならないように取材をしました」と話す。

由佳さんは「生きててくれたから、つないでくれた命だから、私が今ここにいると本当に思っていて感謝しかない」と話した。
若い世代にどのように生きてほしいか
100歳を迎えた由貴子さんに、最後に「若い世代に対して、どんな風に生きてほしいと思うか」を聞いてみた。

由貴子さんは「決して私たちの生まれ育った時代が、幸せではないんですけども、一部分では日本人の精神性は残してほしいと思います。親を敬ったり、他人の手伝いをしたり、助けてあげようとか、大事な思いやりみたいなものがなくなることはないと思いますけど、どこか心の隅に(残してほしい)」と話す。

戦時中の熊本で、女性たちがどういう日常生活を送っていたのか…。いつか誰かに聞いてみたい、その思いで由貴子さん取材した。

今回の取材では、身近な人が体験したことについて、孫が記録にまとめていたことも分かり、話を聞くことの大切さを改めて感じた。
(テレビ熊本)