2020年7月豪雨の発生直後から現地に入り、被災地の様子を伝えた後藤キャスターは4日、人吉市にいます。
豪雨から5年。現在の様子などを伝えてもらいます。後藤さん。
7月4日、あの日から5年がたった人吉市の球磨川です。
梅雨明けしてこの日を迎えるのは初めてのことです。
いま改めて思うのは、この両岸の壁を乗り越えて氾濫した5年前の雨がどれほどの量だったのか。あちらの堤防は遊歩道から6~7メートル高さがあります。
あの高さを乗り越えたということで、自然の恐ろしさをこの場に立つと思い出します。
5年前とは対照的な7月4日となったきょうですが、被災地は各地で鎮魂の祈りに包まれました。
住民4人が亡くなり、依然1人が行方不明の八代市坂本町です。
早朝6時から住民約30人が球磨川のほとりに集まり、『祈りの集い』が開かれました。
【集いを企画 道野 紗喜子 さん】
「7月4日を忘れないでおこうと(企画した)。〈いつかまた戻って、ここで暮らすことができたらいい〉と思っている」
黙とうの後、地元の伝統行事にならい、河原の石に、それぞれがふるさと復興への思いを託したメッセージを書き込みました。
【集いに参加した男の子】
(なんて書いた?)「『いのちがなくなりませんように』って」
【サイレン】
けさ8時半、球磨村一勝地。JR肥薩線の球泉洞駅近くでは球磨川ラフティング協会のメンバーがサイレンに合わせて黙とうを捧げました。
ラフティングの船着き場だったこの場所は、豪雨前まで2軒の商店がありましたが建物ごと流され、川口 豊美 さんや姉の牛嶋 満子 さんなど合わせて5人が犠牲となりました。
【球磨川ラフティング協会 大石 権太郎 代表理事】
「5年、短いようで長いようで…。やれることはやってきた気もするが、足りないこともたくさんある」
地域住民3人のほか、特別養護老人ホーム『千寿園』に入所していた5人が犠牲となった球磨村神瀬地区。球磨川の支流・川内川に菊の花などを浮かべる『花おくり』が行われ、住民らが故人をしのびました。
神瀬地区では今年2月、被災者向けの村営住宅7棟が完成しましたが、そのうち2棟は現在も空き家で、災害後の過疎化が加速しています。
【神瀬地区で暮らす 岩崎 ちふみ さん】
「住民の7割は出て行ってしまって、〈今までともに過ごしてきた、そしてずっと一緒に過ごすんだろうな〉と思っていた人がいなくなったというのを、5年たって、しみじみ感じている」
穏やかな日々が失われたあの日から5年。被災地の復旧・復興は道半ばです。