「かわいいかわいい魚屋さん♪」の音楽が聞こえてきたら「走る魚屋さん」が近くに来た合図。買い物かごを提げた人たちがトラックに集まり新鮮な魚を買い求める。昭和の住宅街ではよく見かけた光景だったが、令和の今も鹿児島で頑張っている。
移動販売車の中にはその日仕入れた新鮮な魚介類がずらり
「かわいい かわいい 魚屋さん♪ ままごと遊びの 魚屋さん♪」
鹿児島市の住宅街に、昔懐かしい童謡を流すトラックがやってきた。
「まあ気楽に待ちましょうか」と言いながらにこやかに降りてきたのは、移動販売車で魚を売る小幡水産の小幡健彦さん、53歳。「走る魚屋さん」だ。

魚の移動販売を始めて22年。きれいな白いボディの「海斗」号には、あちこちに魚の文字やイラストがあり、ある年齢以上の人なら一目で「走る魚屋さん」とわかる。
小幡さんが「海斗」号の最後部の扉を開けると、中はそのまま買い物スペースに。陳列棚があり、アジやイサキ、タコ、さらに鹿児島ではタカエビと呼ばれている深海エビなど、その日に仕入れた新鮮な魚介類がずらり、そして、整然と並んでいる。

常連客に「父ちゃんはどう?」 対面販売だから会話もはずむ
音楽に誘われて一人、また一人とお客さんがやって来た。
半袖シャツに半ズボンの高齢男性がゆっくりと近づいてきた。小幡さんが「あ、じーちゃんだ」と声をかける。
男性は「アジを3匹」注文。小幡さんはすかさず「2匹でいいんじゃない?」と答えた。
すると男性は「うんにゃ(いや)、4匹じゃ」。「なんでね。食べきる?」との小幡さんの問いかけに、男性も「3匹でよか」と納得した様子。
「3匹にしようか、うん」と、小幡さんがアジの入った袋を手渡し、「ありがとう。転ばんごっよ(転ばないようにね)」と声をかけ、見送った。

走る魚屋さんには常連さんも多く訪れ会話も弾む。
高齢の女性客に「父ちゃんはどう?歩けないの?ご飯はしっかり食べられるの?」と親しげに尋ねた小幡さん。すると、「歩けるし、食べられるよ」と女性。小幡さんも「ならよかった」と、安心した表情を見せ品物を手渡した。
週5日、高齢者が多い住宅街や近くに店がない地域を中心に回る

小幡さんの一日は、魚の仕入れから始まる。
午前6時、鹿児島市の魚類市場に足を運び、新鮮な魚を調達する。
「これは脂のってておいしそうだよ。刺身にしないとね」と、トロ箱いっぱいに詰めた魚を作業所に運び、あわただしく魚の仕込みをする。
処理した魚をトラックの荷台にテキパキと並べた小幡さんは、両手を広げて得意げな表情で「まあまあ詰まった方かな。さあどうぞ、何を選ぶ?って感じでしょ」とにっこり。

販売は、週に5日。鹿児島市や隣の姶良市がエリアだ。「お客さんの8割は高齢者とかですね」。小幡さんは、近くに店がない地域や、お年寄りが多い住宅街などを意識しながら、一日に約30カ所を回っているという。
女性客の一人が、「鮮度がやっぱり違っておいしくて。ファンが多いんですよ。ここら辺」と教えてくれた。小幡さんの「走る魚屋さん」は、地域の人たちからの評判も上々のようだ。
「走る魚屋さん」だった両親の思いを引き継ぎ、この道一筋
小幡さんがこの世界に入ったきっかけは、両親の存在だった。
昭和40年ごろに父親の健次さんが魚の移動販売を始め、毎朝、父が仕入れた魚を母親の久子さんがトラックに積んで販売してきた。

昭和50年代、「走る魚屋さん」は県内で200台ほどいたが、高齢などを理由にやめていく人が増え、現在、県の移動販売の組合に登録しているのは、20台だけとなった。
小幡さんは「今の世の中、インターネットで売れば簡単な話かもしれないけど」と笑うが、昭和を駆け抜けた両親の思いを引き継ぎ、この道一筋を貫いている。

SNS告知はあまりしないが口コミで若い人たちの心もつかむ
商売方法は昭和のスタイルにこだわり、SNSを使った告知もほとんどしていない小幡さん。それでも評判は口コミで広がり、若い客の姿も。
「走る魚屋さんって珍しいな」と思ったという若い女性客に話を聞くと、「新しい人もどんどん通うようになった」と教えてくれた。

ゲソとカジキを買いに来た別の若い女性客。「1000円しかなくて」と伝えると、小幡さんが希望に合うものを探し始めた。
「500円くらいがいいよね。これかな?食べ切りがいいよね」と手に取った商品をはかりへ乗せ、「420円!」と、威勢のよい声をあげた。
押し売りをしない。予算に合わせる。食べきりサイズを勧める。それが、小幡流だ。

「さあ何を積んでいこうか」と毎日考えるのが楽しい
移動中、小幡さんが「あ、いた。待ってた」と言って、車を止めた。
前回「キビナゴ食べたいのよね」と言っていた、客の姿を見かけたのだ。
体長10センチほどのキビナゴは手開きの刺し身や天ぷらなど、鹿児島の郷土料理には欠かせない魚だ。小幡さんは、その客が「キビナゴが欲しい」と口にしたのをふと思い出して、ちょうど仕入れていた。
気付いた女性が「海斗」号に近づくと、「はい、いらっしゃい母ちゃん。こんにちは」と小幡さん。
「キビナゴもあるよ!持ってきたよ」と言うと、「あっ、ありますか?2つください」と、うれしそう。
「2つ。はい。ありがとう。刺身もできるよ。この前、言ってたもんね。よかった」と、キビナゴを手渡した。
今度は、キビナゴの感想を聞く楽しみができた小幡さんは、「走らないと。会いにいかないと、というのが一番強くて。さあ何を積んでいこうかと毎日考えるのが楽しい。ありがたいですよね。ほんとに。」と、ニコニコ顔だ。

「人と会いたい」というのがあっての「走る魚屋」
「おいしいのができたよ」と、高齢の女性が、前回買ったイワシで甘露煮を作って持ってきてくれた。小幡さんの親の時代からの常連さんだという。
「あら~ありがとう、すごい!上手にできたね」と、またまた小幡さんが満面の笑みに。
「見ての通り、こんなに小さい商売なんですけど、変わらずお客さんが集まって買いに来てくれるというのがうれしい」と、「走る魚屋さん」の仕事のだいご味を聞かせてくれた。
「人と会いたい、というのがあっての『走る魚屋』だと思っています。運転ができるうちはずっと続けていきたい」と、気合十分の小幡さん。
長年培った絆とお客さんの笑顔が、原動力だ。

おいしい魚が思いをつなぐ「走る魚屋さん」は、便利な時代に忘れてしまいがちな人と人との心のつながりを、今も教えてくれている。
(鹿児島テレビ)