29日未明、種子島宇宙センタ-からH2Aロケットの最終号機が打ち上げられました。

鹿児島県本土からもその光は確認できまして、夜空を見上げた人も多かったのではないでしょうか?

2001年の初号機の打ち上げから日本の宇宙開発を長年支えたH2Aロケットのラストフライトを振り返ります。

28日の鹿児島県西之表港。

最後の打ち上げを前に多くのロケットファンが種子島に降り立ちました。

鹿児島県霧島市から
「種子島には30回以上来てますので、そのたびに(ピンバッジを)購入して1個ずつ(帽子に)つけていったらこんなになっちゃいました。楽しみですね」

大阪から
「大阪からです!ワクワクしてる!」

東京から
「この格好(ロケットコーデ)できました。朝5時起きで!」

多くの人がラストフライトに期待を寄せる中、種子島宇宙センターでは…

轟木康陽記者
「午前10時半です。H2Aロケット50号機の機体が姿を現しました」

最終号機には特別にH2Aのロゴが貼られています。

実はこのロゴ、拡大すると約2000件の応援メッセージが記されています。

「たくさんの打ち上げを、興奮し、時に落ち込み、歓喜と共に見送りました」
「君は私の青春でした!」
「感動といっっっぱいの楽しさをどうもありがとう!大好きっ!!」
「H2Aロケットを見られたことは人生の財産です」

初号機の打ち上げから約25年。

日本の宇宙開発の歴史でH2Aロケットは初めて2桁の打ち上げ数を記録し、私たちの生活を便利にするための人工衛星や探査機を宇宙に運んできました。

初号機から全ての打ち上げに携わった技術者も思いはひとしおのようです。

JAXA 宇宙輸送技術部門 技術統括・藤田猛さん(65)
Q.最初、この機体が50号機まで打ち上がると思っていた?
「全く思っていなかった。自分をここまで育ててくれた親か先生のような存在。50号機、有終の美を飾って成功をして全うしてもらえる物だと信じている」

ファンと技術者の思いを乗せて。
その時間はやってきました。

井上彩香キャスター
「H2Aロケットラストフライト。まぶしい光で種子島を今回も照らしながら最後の宇宙へと力強く向かっていきます」

夜空を照らすラストフライト。

その光は県本土にも届いていました。

機体はまるで流れ星のように夜空を突き進み、こんな鮮やかな写真も撮影されました。

初号機から全てを現地で撮影し続けてきた鹿児島県南種子町の男性。

最後もきれいな写真を撮影できたようです。

きょうごく写真屋・京極義一さん(66)
「おつかれさまでした。無事終わりました。久々の夜だったんで結構感動しましたね。ちゃんと上がってくれたなと」

打ち上げから約16分、ロケットは観測衛星、「GOSAT-GW」を予定の軌道に投入し、打ち上げは成功しました。

訪れたファン
「かっこよかった」
「最後のH2Aを見られてうれしかったです」

50機が打ち上げられてきた中で失敗したのはわずか1回。

世界に誇る成功率を残し、H2Aロケットは有終の美を飾りました。

三菱重工 H2Aロケット打ち上げ執行責任者・鈴木啓司さん
「会社生活のほとんどをこのH2Aロケットに費やしてきたので、『ホッとした』の一言。『無事に分離してくれた』という、その一言」

三菱重工 防衛・宇宙セグメント 宇宙事業部長・五十嵐巖さん
「ずっと成功を継続することの難しさ、そのために色々なマネージング、技術や人、そういうものを積み重ねて初めて継続した成功があるということを学んだ」

H2Aロケットが25年間の歴史の中で積み上げてきた技術と高い信頼性。

そして、技術者たちの思いはH3ロケットに受け継がれます。

鹿児島テレビ
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